「過去の抽象化」が求められる時代
どれだけ変化があろうとも、抽象度を高く意味付けることができれば、過去は連続的にとらえることができます。たとえば、「組織をまとめていく力」「複雑なシチュエーションを読み解く力」「瞬時に何をすべきかを判断する力」などは、アレンジさえすれば継続的に生かすことができるでしょう。
予測不能の時代だからと言って、獲得したはずの経験がいちいちゼロリセットされていたら大変ですよね。だからこそ、過去のスキルセットを殺さない、生かし続ける工夫が大事なのです。
そのためには、過去に培ったものの中から大事なものを抽出してその本質を見出し、未知の世界に生かすこと。つまり、「過去の抽象化力」が問われているのです。
「本」という存在がある時代に生きるありがたさ
一人の人間の経験なんてちっぽけなものです。それだけで抽象化しようとすればログなことになりません。
だからこそ、「読書」に意味があるのです。
本の中には、自分では経験しえない他者の知見が詰まっています。
自分では決して届かない深さまでの考察にたどり着いた人、自分では決してできない広がりの研究にチャレンジした人、そんな人生の先輩たちの経験は、すべて本の中に存在します。
「終身エンタメチャレンジ」の道を選ぼう
少し前の時代までは大学に進学する一部のエリートを除けば、18歳や20歳になって修了試験を終えた後は、誰も勉強する必要はありませんでした。変化の少ない時代には、子や孫世代に知識を伝えた老人が長く力を持っていたからです。
しかし、世界が絶えず革新的に変化している現代では、成人した後も学び続けなければいけません。カリエールはこのような文脈を踏まえて、「終身学習刑」と銘打ったのです。
本の最大の魅力は「魅力的ではないこと」
本には五感的にも時間的にも、思考できるだけの「余白」が十分にあるのです。
この「余白」こそが、読書の最大の魅力です。
読者の心が眼覚めて対していなければ、書物からも得る処はない
(「読書について」小林秀雄)
読書というものは、こちらが頭を空にしていれば、向うでそれを充たしてくれるというものではない。読書も亦実人生の経験と同じく真実な経験である。絶えず書物というものに読者の心が眼覚めて対していなければ、実人生の経験から得る処がない様に、書物からも得る処はない。
いきなり「必殺技」を繰り出すな
本に向かう前には、まず過去を忘れて没入から入る。そして、その次に自分の経験を使いながら解釈していく、ということです。
この順番を間違えて、最初から自分の経験を引っ張り出してしまうと、せっかくの読書経験が自分の狭い世界から一歩も出ることのない限定的な体験になってしまいます。あまりにもったいない。
つらいときほど、最高の読書タイミング
「つらい」とか「やばい」「どうしよう」「もうダメかもしれない」と思ったときは、「よし、読書のタイミングがきたぞ!」とガッツポーズをしてください。つらいときこそ、あなたの最高の読書タイミングなのです。
「読書のポートフォリオ」を組もう
この「問いの発見」のカテゴリーは自分自身の認知行動を変えなくてはいけないため負荷が大きく、時間もかかります。さらに、負荷が大きい割には、すぐに使えるノウハウや知識ではないことも多い。読んだからといって、実生活で何かが変わるというわけでもありません。
しかし、このカテゴリーの本をポートフォリオに組み込むことをすすめるのは、人間は自分が当たり前だと思っていることには、決して自ら「問い」を立てようとしないからです。私は著書「世界「倒産」図鑑」と「世界「失敗」製品図鑑」の執筆を通じて、世の中の企業や組織がどのように失敗していったのか、数多くの経緯をリサーチしました。
そして、失敗する組織に共通していた特性のひとつが、組織内で「そもそも、これはどういうことなのだ?」という根本的な「問い」が立たないということでした。
読んだ冊数の多さよりも、よい「問い」に向き合う時間を大切にしよう
読書をするときは、いったん「効率化至上主義」のスイッチはオフにすべきなのです。たとえ1年に1冊でもよいのです。本当に自分にとって大切な「問い」や「答え」を発してくれている本に向かい合うことの方が年に300冊読むよりよほど価値のあることだからです。
最後まで読まなければいけないと思いこむ「完読の病」
本には相性というものがあります。人間関係でも気が合う人合わない人がいるように、本にも「おそらくいいことが書いてあるんだろうけど、入ってこない」という類のものがあります。
一方で相性とは関係なく、「今が読むべきタイミングではない」という本もあります。
一般論として、本には読むのに適切なタイミングというものがあります。人生が順調なときに読んだほうがいいい本、つらいときに読むべき本。はたまた、ある程度、基礎知識がついてから読むべき本や、経験をそれなりに積んでから手に取ったほうがいい本。人間関係に深い悩みを抱えたときこそ手に取ったほうがよい本など。どれだけよい本であっても、適切なタイミングに巡り会えなければ、よい読書体験にはなりえません。単に本を閉じてそのまま本棚に戻すのではなく、せめて何が書かれている本なのかという概要だけは把握しておくことです。せっかく一度は興味を持って手に取った本ですから、「この本の「問い」と「答え」はどのようなものなのか」という概要を把握しておくのです。
懐疑を抱え続ける「ネガティブ・ケイパビリティ」
私たちは「問い」を抱え、育てることに対して努力しなくてはなりません。「答え」を出す努力ではなく、「答え」を出さない努力、そして「問い」を忘れない努力をするのです。
「これはいい本だ!」と熱狂したら、そこで本は閉じるのではなく、懐疑を見出してみる。そして、そこで生まれた「問い」に向き合いつつ、あえて「答え」を出さずに保留する。そして、やがて来る「答えが降りてくる瞬間」を辛抱強く待つのです。
これによって、私たちは「読書」を通じてより確固たる自我を築くことができるのではないでしょうか。
「実存」を問うことの価値
他社からの強いメッセージを受け取りながらも、それに飲み込まれずに、自分の弱い懐疑を挟んでいく。そして、その中にやがてくる「答え」を待つ。
他社の考えを受けながらもささやかな自己主張を続けていく、という読書こそが、「生きる力」を鍛えることにつながっていくのではないか。