BOOK LIFE

本を読む人だけが手にするもの: 藤原和博

※本サイトはPR表記を含みます。

本を読む人だけが手にするもの」。タイトルが見事にささり、読みました。本を読む習慣をつけるようになって、まず本を選ぶセンスがないことに気づき、
「読書とは何か?」という、そもそも読書に対する本質というか、漠然として本を読み続けるのも、時になんだかなあという気持ちになります。そんな中で、読書を知るための本が好きになりました。早速自分がハイライトした部分を紹介します。

■序章: 成熟社会では本を読まない人は生き残れない

「それぞれ一人一人」の幸福をつかむための軸となる教養は、自分で獲得しなければならない。そのためには、読書が欠かせないというところに行き着くのだ。

幸福という定義を自分で決め、現在の自分がどの地点にいて、どちらの方向を目指し、どこまで達成すればいいのかということまで、すべて自分で決めていかねばならない。

誰も、助けてはくれない、これは、じつに恐ろしいことだ。

成熟社会は、個人がバラバラになっていくことと同義である。それにともなって、地域コミュニティの影響力も後退していく。

→ 現在は成熟社会。人生において個人が「選択の自由」を日本においては獲得できる状況だけど、違う側面で考えると、社会を自由に生きていくためには、本を読むことは欠かせない、生き残れないという厳しい現実があることを改めて感じました。

第1章: 本を読むと、何が得か?

パチンコをする人としない人の決定的な違いは、時間をマネジメントする発送があるかないかである。パチンコは非生産的な行為だ。
平気で非生産的な行為に時間を浪費する人は、時間に対するマネジメント能力があるとは思えない。
20世紀型の成熟社会であれば、勝手に市場が拡大してくれた。時間を無駄にしても社会全体の利益の恩恵を受けることができたので、それほど大きな問題にならなかった。

だが、21世紀型の成熟社会ではそうしたおこぼれの恩恵はない、時間のマネジメントができない人は、時間あたりに創出する付加価値が低くなってしまうため、真っ先に労働市場から淘汰される。

本を読むか読まないかで、報酬の優劣は決まってくる、本を読むことで限りなくエキスパートの報酬水準に近づいていくか、本を読まずに限りなくフリーターの報酬水準に近づいていくかという分かれ道だ。

世の中に流布する情報を無条件に受け入れ、それがあたかも唯一の正解のように思いこんでしまう。これは危険な兆候だ。
21世紀型の成熟社会を生き抜くには、「上手に疑う技術」が必要になる。だから、情報に踊らされないためには、「個人的な体験」をする機会をできるだけ多く持つしかない。
しかも、「リアルな体験」に越したことはない。だが、さきほどみたように、人の一生の時間は限りがある。望むことすべてを体験することは不可能だ。そのようななか、本は、著者を通して「個人的でリアルな体験」を味わうことができる手段なのである。

→ 今回ハイライトした中でベストオブベストで心に刻んでおきたい内容。パチンコは自分の足では行ったことがないですが(そもそもパチンコで儲けることができるなら、パチンコ屋の経営が上手くいくはずがない、それが繁盛しているということは行く価値がないということは明らか)と考えていましたが、20世紀の成熟社会では社会全体の利益の恩恵を受けることができるので、個人がパチンコで遊んでいても問題ならなかっただけで、21世紀型はそうはいかない。なるほど納得です。報酬の優劣にしろ、本を読むことの意義として人生には限りがあるから、それをリアルな体験としての読書とは参りました。

第2章: 読書とは「他人の脳のかけら」を自分の脳につなげること

自分の得意分野や興味のあるものだけに偏ってしまうと、新しい分野との出会いがない。たとえば「私は文系だから、DNAや遺伝子のことは興味がない」
「私には難しくて、宇宙のことには関心が向かない」「絵文字が好きだから、それしか読みたくない」などと言って得意分野以外を遠ざけていると、そこに有益な脳のかけらがあったとしても、自分の脳にはくっつかない。
むしろ、自分が不得手な分野、目からウロコが落ちるような内容、あるいはこれまではまったく興味が湧かなかったことに目を向けるべきだ。
意図的に「異質な回路」をつくり出すことが、受容体の形状や質を多様化させる。

→ 本当は自分の職業の勉強をまだまだすべきだし終わりはないけど、それ以外のことも勉強したいと強く思います。人生において全てを得ることは無理で、取捨選択をすることは必然。それを受け入れ、自分に正直に興味を持ったものをどんどん読書を通じて吸収していきたい。

第3章: 読書は私の人生にこんなふうに役立った

組織にいながら自営業の感覚で仕事をする「企業内個人」「組織内個人」という考え方のベースにもなっている。

本を読むことが生活の一部となるようになって、私のなかである変化が起きた。それは「人生の鳥瞰図」が見えるようになったことだ。
もちろん、鳥瞰図を獲得しようと思って本を読んだわけではない。結果的に、読書を重ねて他人の脳のかけらをつないでいくうちに、鳥瞰図が現れたと言ったほうが近い。

年間100冊を3年続けると300冊になる。300冊を超えたあたりからだったと思うが、自分のなかから言葉があふれ出すようになった。
世間のさまざまな事象に接して、自分も何か語りたくなるのだ。

→ シンプルにそんな感覚になってみたいな、そんなスキル持ちたいな、と。年間100冊って、ざっと3日に1冊やんか。自分は子どももまだまだ手がかかるし。無理!
でも、マイペースに数をこなすことが目的にならないように、その本のメッセージを汲み取りながら読む楽しさを味わっていきたい。

第4章: 正解のない時代を切り拓く読書

20世紀後半の日本を牽引したのは、要素から正解を選び出す情報処理力に優れた人だった。しかし、要素がすべて出尽くしたのなら、これからの時代は、すでにある要素をどのように組み合わせて価値を生み出すかということが問われることになる。つまり、情報編集力に秀でた人材が社会をリードする時代になる。

ロジックする力を身につける第一歩は、自分の行動や思考に筋が通っているかをつねに意識することである。あるテーマに関する意見を持ち、他人とディベートしたり、理詰めで説明したりすることで、徐々に獲得することができる。

著者の論理を真似することで自分なりの考えを編集する努力を繰り返していけば、ロジックする力を高めていくことができるだろう。

一人の人間に与えられた時間は限られている。その限られた時間のなかで、自分以外の人生も模擬体験できるのが読書である。

遊びというのは多様で、複雑で、変化に富んでいる。やってみなければわからない要素が強く、つねに修正をかけていかなければ楽しめない。正解主義で、遊びはできない。
だからこそ、遊びは、成熟社会に必須の情報編集力の土台になるのだ。お子さんのいる読者には、10歳までにどれほど思いっきり遊んだかが、その子のイマジネーションの根っこになる、と明言しておこう。

「男が正気になるためには、病気になったり、死ぬ目に遭うか、独房に入って沈思黙考して哲学するか、戦争に行くしかない」西部先生が言おうとしたのは、人間がひと皮剥けるためにはそれぐらい強いショックが必要だということ。

子どもにとっての遊び、大人の旅、そして極限状況に直面すること。読書に加えて、こういう体験をすることによっても、情報編集力は強化されるのである。

→ 特に子どもが10歳までどれほど遊んだか、ここは自分にとって最も重要かも。コロナ禍でマスクを常時つけることが当たり前になったり、公園の遊具でさえ、触った後は消毒をする。砂場遊びで泥だらけになるのも、大人になった自分が見ていると正直抵抗を感じてしまう。でも、本当は何も気にさせず、自分が思うがままに遊ばせるのが良いのでしょうな。。と思います。後、遊ぶ環境や色々な体験をさせることも重要かな。親の役目として自身に強く思い巡らせておきたい。

第5章: 本嫌いの人でも読書週間が身につく方法

本に対する鑑定眼を磨く方法はあるのだろうか。3000冊以上を読んできていえるのは、どのようなジャンルでもいいから数にあたることが大切だと思う。
結論。なんのことはない、数が勝負なのだ。
私の経験でいえば、多くの本を読んでも、自分の価値観の一部が書き換えられるような影響を受けた本はそれほど多くない。よい本に出会う確率は低い。

本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、習慣化した「乱読」をおすすめする。予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が
将来起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。

なぜ、アウトプットが大切なのかといえば、本を読んで、それを「自分の意見にまでつなげることができる」という成功体験になるからだ。
たとえば本を読んで、ある思いがあなたに浮かび上がってきたとしても、それは最初は、ただの感想に過ぎない。「自分の意見」というものは、書いたり話したりを繰り返すうちに、しだいに強固なものに進化していくものなのだ。それが印刷物になってフィードバックされると、さらにエッジが立ってくる。
意見は、繰り返し聴かれないと、筋道が立っていくものではない。逆に、何度でも、自分の意見を書けば書くほど、論理的な整合性が深まってくる。
書いて、聴かれて、また書いて・・・その繰り返しで、ようやく「意見」に結晶するものなのだ。

→ 鑑定眼ほすい。数をあたるにしても、やはり、読んだだけでは中々残りにくい。なので、こうして自分の好きなように書き記して、アウトプットすることが自分も重要かなと感じています。あと、良い本に出会う確率が低いのは音楽とか文化系でも同じだと思う。それと、良いかどうかは個人差もあるし、その人の置かれた状況・環境もあろうかと。どこかで古典は間違いないって言ってたけど、自分はまだ古典を読んでも挫折することが多いです。なので、まだ読む時期ではない。読むタイミングもあるから。

 

最後に

「本を読む人だけが手にするもの」は読書する人と、しない人との差をストレートに伝えてくれる本でした。後、実際に著者が数千冊の本を読んできて感じていること、変わったこと、自分にはない、「その先」の一つが感じれるようで、自分もそんなスキルが欲しいなあ、と思います。なぜなら、人生をもっと深く、多角的視点を持てることができそうだから。そういう意味でも、読書の楽しさをまた一つ知ることができた本でした。

 

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