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レッド・ルーレット: デズモンド・シャム

※本サイトはPR表記を含みます。

レッド・ルーレット」読みました。中国共産党の背景が恐ろしく感じました。ちなみに、「レッド・ルーレット」は中国では禁本とされているとのこと。

本書は、著者のデズモンド・シャムの生い立ちから、現在に至るまでの自伝という捉え方もできると思います。幼少期のデズモンドは裕福な家庭に生まれたわけでもなく、父親からの日常的なDVを受けていたことにも衝撃を受けました。その一方、貧困層の生活を強いながらも、デズモンドの両親は将来を明確に見据え、逆境の中でも立ち向かっていく背中を見ながらデズモンド自身も良い影響を受けつつ育っていきます。

デズモンドは、幼少期に常に本に触れる環境はあったようで、自身の成長に欠かせないものになっていることも納得です。

デズモンドのパートナーであるホイットニーは2017年に忽然と姿を消し、また、現在に至るまでその姿を確認したものはいないという事実は率直に恐怖です。そもそも本書を手にとったのも、たまたまYouTube で「レッドルーレッド」をデズモンド自身が話をされている所から是非読んでみたいとなったのがキッカケです。

物語を要約すると、デズモンドはホイットニーとパートナーではありますが、最終的には離婚しています。ホイットニーとはビジネスパートナーでもあり、また、ホイットニーは温家宝の妻「帳おばさん」という方と、親密なビジネスパートナー以上のパートナー(家族的なほど)。

中国で大きなビジネスを成功させるためには党(体制)との「グワンシ(関係)」が何よりも重要で、ホイットニーはそのグワンシを築くのに長けており、そうしたグワンシを構築させていたデズモンドとホイットニーはビジネスを次々に成功させていきます。

ですが、一転、習近平体制になってから「腐敗一掃プロジェクト」が実行され、名目上は「官の汚職を取り締まる」というものですが、実は習近平体制に不都合、敵対する勢力を殲滅する作戦であることがわかります。(実際に時期総理になるトップ争いをしていた孫政才(そんせいさい)という方が終身刑に処されている)習近平体制にさらに不信感を募らせたデズモンドは結果的に、中国を出て、イギリスに住んでいます。ホイットニーとはすでに離婚しているので、ホイットニーは中国にいたまま行方不明になってしまいました。

訳者のあとがきにありましたが、失踪後(2021年)にホイットニーからデズモンドへ電話があったようです。その内容は「(本書の)出版を取りやめるように」懇願したとのこと。デズモンドは通常とは違う空気を感じ、それ以降も行方不明。そして、最後にホイットニー自身がビジネスで成功させた資産数百億ドルは共産党への寄付という形になっており、不自然すぎる結果になっています。

中国共産党について興味がある方なら、間違いなく読んでおいて損はないと思います。


 

以下、ハイライトです。

新世界

自覚するまで何年もかかったが、私は、香港でかつての生活を取り戻すために努力する両親から多くのことを学んだ。私たちは困窮していた。三年間、人の家のリビングルームに居候し、自分たちのバスルームはなかった。家計はいつも火の車だった。けれど、両親とも、トンネルを抜けたあとの生活の展望を明確に持っていたし、トンネルを抜けるために何をすべきかを知っていた。両親は目標に向けて懸命に努力した。その姿を間近に見ることで、私は大切なことを学んだ。

結婚

私たちは何もないところから出発したのだから、人生で何も成し遂げられなくとも大した問題ではない。だとしたら、やってみればいいじゃないか。それが彼女のモットーだった。そういう姿勢がなければ、社会の底辺から這い上がって頂点に上り詰めることはできなかっただろう。

息子

中国の体制は基本的に欧米の体制と同じであり、やがて民間企業が成長して経済を支配するようになれば、もっと透明でオープンなものになると、大多数の人は本当に信じていた。そのことはここで強調しておきたい。成熟した資本主義へのプロセスは中国共産党によって断絶され、おそらく再開することはないだろう。だが、当時はそれがわからなかった。私は、自分とホイットニーが行ったすべてのことに全面的に責任を負い、下した判断に伴う重荷を背負うつもりだ。しかし、実際にあんなふうに生きてみてわかったのは、物事は、他人が遠くから見て思うよりも、はるかに複雑だということだ。完全な人生などない。私はこれからも歩き続ける。

アスペン研究所

共産主義中国の創始者、毛沢東は、私の父方の一族にいたような資本家を、社会の最下層に追いやった。鄧小平は、経済改革による少数者の「先富起来(先に豊かになること)」を認めることで、資本家の地位を引き上げた。それから一世代経った今、江沢民は起業家たちに、共産党に入党し、少なくとも政治権力の一旦に加わるように呼びかけたのだ。目がくらむような変化である。

私はアスペン研究所で、富裕層がこれまでどのように政治のプロセスに関わってきたかを学んだ。その意味で、資本家階級に国の進路についての発言権を与えていない中国の体制は異常だった。資本家を自認する私たちは意見を言いたかった。私たちは、財産や、投資や、その他の権利の保護を求めていた。司法の独立が無理だとしても、少なくとも地域の党幹部の気まぐれではなく、法に基づいて審判が行われる公正な司法制度を求めていた。そして、政府の方針の予測可能性を求めていた。そうでなければ確信を持って投資ができないからだ。それに加え、キリスト教徒のホイットニーは、より広い信教の自由を求めていた。少なくとも、中国人が神と国家を同時に愛せることを、中国政府に認めてほしいと言っていた。

民主化の波

習近平の反腐敗キャンペーンが実際に始まってみると、それは不正行為の撲滅のためというより、潜在的ライバルを葬るためだったことがわかった。習近平は、同じ太子党である薄熙来の拘束に、すでに一役買っている。続いて、中央政治局常務委員会で薄熙来の仲間だった周永廉を投獄した。そのあとは方向を変え、今度は、共産党体制のもう一つの派閥である共産主義青年団派の撲滅に狙いを定めた。

中国では、共産党は、証拠をでっち上げ、自白を強要し、事実に関係なく自分たちが選んだ容疑をかけることができる。システムが非常に不透明なために、多くの人がだまされて、党がかけた容疑を信じるのだ。中国の経済成長率と同じである。党が目標を設定すると、毎年、奇跡のように、小数点以下まで一致した数字が達成される。外国人を含めて誰もが同じ嘘を受け売りするのは、共産党が、真実を隠し、異論を封じることに熟達しているからだ。事実とフィクションを見分けるのは不可能に近い。

別離

二つの厳しい試練から、私は、人生の不確かさについて、特に一寸先が闇の中国で生きることについて、多くのことを学んだ。友情は信じられないし、結婚も頼りにならなかった。それなら、どんな関係が残るというのだろう。

情け容赦しないという姿勢は、共産主義体制が生んだものだ。私たち中国人は、幼いころからめ熾烈な生存競争の中で戦わされ、強い者だけが生き残るのだと言われて育つ。協力することや、チームプレーヤーであることは教えられない。私たちが学ぶものは、どうやって世界を敵と味方に分けるかであり、味方との同盟関係も一時的なもので、仲間は消耗品だということである。常に命じられれば、両親や、教師、友人でさえ密告する覚悟ができている。そして、重要なのは勝つことであり、良心の阿責に苦しむのはバカだけだと教えられる。これが、1949年以来、共産党が権力を維持するのを可能にした指導原理なのだ。マキャベリが中国にいたら、きっと居心地が良かったにちがいない。私たちは、生まれた時から「目的は手段を正当化する」と教えられるからである。共産党が支配する中国は非情な世界なのだ。

ヴォルフガングのような人々を見れば見るほど、私は、害を増していく中国の共産主義という厄災を、彼らが効果的に助長していると思うようになった。彼らは、巨万の富と引き換えに魂を売り渡したのだ。
ホイットニーと私は、彼らやその親たちが決めたルールに則ってプレーし、成功した。しかし、ルールがゆがめられいていることも知っている。ホイットニーはこのゆがんだ体制を快適だと感じていたが、私は抜け出したかった。

あとがき

中国に対する私の見方は、胡錦涛総書記・温家宝総理体制の二期目だった2008年から悪化し始めた。中国のレーニン主義体制の論理は、毛沢東主席の時代から基本的に変わっておらず、完全な支配を追求することを共産党に求めている。党が管理の手を緩め、自由な起業を認め、市民の自由を拡大するのは、危機的状態になった時だけである。共産党はしぶしぶ規制を緩和し、また元の形に戻すのだ。2008年以降、党は、経済や、メディア、インターネット、教育制度などに対して、再び管理を強化し始めた。編集者は首にされ、出版業者は逮捕され、大学教授は解雇され、インターネット検閲され、すべての民間企業に党委員会の設置が義務付けられた。中国経済が成長したことで、共産党が支配を強化する機会が生まれたのである。

今、さまざまな資源を手に入れた中国共産党は、逆戻りして本来の性質を露呈し始めた。時を同じくして、私は、人間に得られる最も貴重なものは、富や仕事の成功ではなく、人としての基本的な尊厳や人権だということに気づいた。その理想を共有できる社会で生きるために、中国ではなく、西洋世界を選んだ。それは私だけのためではなく、息子のためでもある。

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