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「上級国民 / 下級国民」: 橘 玲

※本サイトはPR表記を含みます。

「上級国民 / 下級国民」という本を読みました。なかなかの強いキーワード。数年前に大きな事故を起こした出来事を彷彿とさせます。

率直な感想としては、やや煽り感が強いものの、平成の日本を振り返りつつ、令和で今後どのようなことが起きていくのか、また、そこから男性と女性の「モテ」につながっていく一見、「上級下級」という格差をイメージさせるものとは関連性がないように思える所があったり、読んでいても飽きず、内容も「確かに」と思えることが多くて面白かったです。

ハイライトした箇所を出しつつ、簡単に思ったことなどを殺伐と書き記していきます。気になった方はキンドルのアンリミテッドで読めるのでオススメです。

平成で起きたこと

「平成で起きたこと」の中でハイライトした箇所です。

通説とは異なって、大手金融機関が次々と破綻し「リストラ」が流行語になった時期にも、日本企業の長期雇用慣習は温存されたのです。

→ リストラという言葉が流行った時期、自分はなーんにも考えていない時期でもありましたね。(苦笑)この本にはその各世代の当時の失業率のグラフが掲載されていました。
確かに、団塊世代の失業率は決して高いものではありませんでした。じゃあそのしわ寄せがどこにいったのか?ということですが、以下の引用二つが該当しました。

・1993~2005年の「就職氷河期」に学校を卒業し非正規や無業者になった若者たちは「ロスジェネ(失われた世代)」と呼ばれています。
・結論はひとつしかありません。平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られたのです。

→ 正にわてら世代(40代)なので、大卒の方でも就職難にあったり、最終バイトで食いつなげるしか方法がなかったり、という現実があったようです。でも、それでも大卒は少数派だったような・・?
まあ、でも、これも政治と絡んでいて、若者は昔から選挙にもいかないですもんね。そっちより(団塊の世代)向けの政策になるのが現実。だって、若者向けの政策をしたら団塊が黙ってないし、むしろ票が失われるという結末に・・?

日本経済の低迷の原因は、「日本市場に魅力がないから」ということになります。
会社を「正社員の運命共同体」にする前近代的な日本経済の仕組みでは、正社員だけを過剰に保護することで労働市場の流動性がなくなり、会社は「いったん入ったら出られない」
タコツボ化してしまいます。その一方で金融危機や東日本大震災のような外的ショックが襲うとたちまち「就職氷河期」になり、若者が雇用から排除されてしまいます。
このような社会でリスクをとってビジネスしても成功が見込めないため、開業率は低く、外資系企業は参入しようとせず、生産性の高い大企業は海外に出て行ってしまいました。
これが、平成30年で日本経済が行きついた無残な姿なのです。

→ 同時にグローバル化が加速し、より安い賃金で同じ品質を大量に作れる箇所(国)に委託し、雇用数が減るというのは、時代の流れでもあり、良い側面、悪い側面が顕著に出ていると思いました。

令和でおきること

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件で日本社会が大きな衝撃を受けたこの年から、バブル崩壊の影響が広範囲に表れはじめ、名門金融機関が次々と破綻する90年代末の金融危機へとつながっていきます。
戦後の日本社会を支えてきた土台が大きく揺らいだこの時期、政府・行政に課せられた最大の責務は「団塊の世代の生活を守ること」でした。為政者は、この層の家計が破綻するようなことになれば社会そのものが根底から
崩壊する恐怖を感じていたはずです。こうして、巨額の公的資金を投入してなりふりかまわず景気を下支えすることになります。建設業での雇用を維持するために、日本全国に採算のとれない橋や道路、豪華な庁舎や
公民館などの公共施設があふれたのはその象徴です。
こうして、「第三の敗戦」ともいわれた未曾有の「国難」のなかでも団塊の世代の雇用は守られることになります。だが皮肉なことに、そのことによって彼らの子どもたちである団塊ジュニアの雇用が崩壊されたのです。

→ 団塊ジュニアの雇用が崩壊されたのは、全てではないと思うけども、それでも、よりコミュニケーションが高い人材であったり、自主的な人であったり、協調性が問われたり、採用される基準はグッと上がった現実はあるのかなと思います。

誰もが同じ境遇で育つわけではなく、一部癖のある環境の中で育つ人は、癖のある人材になるのは自然とも言えるだろうし、そして、より人材も効率化されつつある現在では、生きづらさを感じるのかもしれません。(だからこそ自分で命を絶つ人や、精神疾患が増えている一因になるのか)

「就職氷河期」の若者は賃金の低いフリーターや非正規になりやすく、自活するだけの収入を得られませんから、成人しても実家で暮らすしかありません。

→ 自分は高校卒業時点から30歳目前まで、ただの「夢追い人」だったので、結果的に30まで実家で暮らしていましたね。でも、今思うと自分の選択は無知そのものだったし(正規で働きつつ、夢・目標は全然できるし、むしろ、そうしなければキャリアも磨けず損)それをアドバイスしてくれる人もいなかったし、その現実を自分で年を取ってから頭を打って思い知らされることしか方法はありませんでした。真面目に大卒まで勉強して、氷河期で上手く就職できなかった人は、まあ絶望になる気持ちもわかりますが、まだ若いので、中年層雇用崩壊よりマシかな...

「働き方改革」は、団塊の世代が現役を引退したことではじめて可能になったのです。
平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年だったとするならば、令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外にありません。

→ 心の残ったキーワードですね、団塊が悪いわけではないけれど(誰だって自分の生活は守りたいものだから)、問題は「政府」だとは思います。なのに、大体選挙にいく人は50%。必ず年代別の投票率良くなるとは思えませんね。誰もが、国営を任される人材選出を放棄すれば、そこに悪が忍び寄るのは世の常だと思うし、もっと政治に関心を持たなきゃ。ちなみに、こんな高卒の底辺学歴の自分でも20歳から選挙に行かなかったことはありません。(`・ω・´)

■ 参議院選挙 2022 投票率ランキング
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220712/k10013713101000.html

「モテ」と「非モテ」の分断

一見、上級国民と下級国民に何の関係があるんだろう?と思いつつ、読み進めていくと、非常に興味深いデータと、見識で「たしかにそうかも」と思うことが多々ありました。

詳細データは本書にお任せするとして、シンプルに男性より、女性の方がポジティブ思考が高い、幸福感も高いということです。

また、大学卒の方が、高卒よりも幸福感が高いというデータも。良い学歴がある方が、社会に出てからの「自由度」が高まるので、それも納得。高卒は仕事を選ぶことも中々できないし、転職する際にそもそも「大卒」しか受け入れない企業、結構あります。年齢を重ねるとよりキャリアなども含め、社会はシビアになると感じています。

じゃあ、それで全ての幸福度は決まるのか?というと、それはまた別の話。でも、経済力が維持できないことは生活に直結するので、幸福度に大きなウェイトはあると思います

福沢諭吉の「学問のすすめ」の一説の紹介もありました。

人は生まれながらにして貴銭・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり冨人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

と、福沢諭吉は断言しています。それで絶対的幸福を手に入れるとはいかずとも、社会の富を享受できるという意味合いでの差は歴然と出るのも現実ですね。

それと、なぜ「男性より女性の方がなぜ幸福感が高いのか?」ということですが、男性は年齢を重ねるにつれて、孤独になる人、また歴史的にもそういう習性がある傾向が実証されているようです。

若い年代はグループを組んで権力争い(学校でも仲良しグループは分かれますね。別の学校の中学生同士のぶつかり合い、会社では社内政治かな・・)が多く見られ、年を取るにつれ、段々と友達と連絡は取らなくなる。

女性の場合は、これまた歴史を遡ると、男性からの差別受けてきた歴史、力ではかなわない現実から、女性同士の「つながり」を強く持てる傾向があるようです(だからこそ話好きだし、噂も)。

自分の過去を振り返ってみても、「あー確かにそうだな」と腑に落ちる事柄があって、中々楽しい見解だと思いました。結果的に、女性の方が人とのつながりを保つことに長けているので幸せの度合いが必然的に女性の方が高くなるようです。

本来は遺伝子的に「子孫を残す」ために性欲があり、そのために特に男性は権力や富を求め、自分に「モテ」向上のために、ある種のステータスを追い求めることも大いに共感、理解できます。

ですが、僕の年代はまさに「就職氷河期」世代であり、格差社会がますます広がるにつれて、結婚しない人、子供を持たない人、または一人でいる方が合理的だと考える価値観。どれもそうした背景があるとはいえ、多様性の社会、より自由な社会として、時代は進んでいくのだろうと思いました。

厳格な一夫一妻というのは近代以降のヨーロッパで始まったきわめて特異な制度です。それが植民地化によって世界に広がり、一夫多妻は時代遅れで女性の権利を侵すものとしてフェミニストからははげしく攻撃されるようになりました。

一夫一妻という思想、価値観もどうやら近代に入ってからのようですね。それまでは、一夫多妻(権力が持つものがより多くの遺伝子を残すことができる)というような価値観の歴史が長いようです。中でもびっくりしたのがチンギス・ハンでしたね。現在、1850万人ぐらいの人が遺伝子でつながっているらしい

現在も「事実上の一夫多妻」だという旨の見解をしていました。実際、離婚率が多く、また、その原因に浮気も多い。それは男性としての本能、遺伝子とか、歴史上の経緯を見てみても、今のモラルの価値観と理性を強く持つ必要があるのかもしれませんね。

世界を揺るがす「上級/下級」の分断

ゆたかさを背景に価値観の大きな転換が起こります。それをひと事でいうなら「私の人生は私が自由に選択する」です。「そんなの当たり前じゃないか」と思うでしょうが。それは私たちが「後期近代」に生きているからです。
中世や近世はもちろん、日本では戦前(前期昭和)ですら、「人生を選択する」などという奇妙奇天烈な思想を持つひとはほとんどいませんでした。長男は家業を継ぎ、次男や三男は軍人になるか都会に出稼ぎに行き、姉妹は親の決めた相手と結婚するか、
兄弟の学資を稼ぐために身体を売るのが当然とされていたのです。
ところが1960年代になると、こうした前期近代の価値観(生き方)は「過去の歴史」と見なされるようになり、古代や中世と区別がつかなくなります。好きな職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることが当たり前になったのです。
これは、どれほど強調しても強調し足りないほどの巨大な変化です。18世紀半ばの産業革命においてゆたかさの相転移が起きたとすれば、20世紀半ばに価値観の相転移が起き、ひとびとは新たなアナザーワールドを生きるようになりました。これが「自由な社会」です。

→ 今の時代を生きていると、当然の様に「選択の自由」があるので、小さい頃から、そのような環境で育つと「選択の自由」は空気のような存在です。でも、それは当たり前ではない。平和に関しても同じことが言えますね。僕らは「ラッキー」としか言いようがない時代に生まれています。

それでも、生きづらさを感じたり、物が豊かであるがゆえ、人は精神的に悩み、苦しむ。戦争の時代は生き延びること、食いつなげていくことに必死で、そんな悩みはなかったかもしれませんが、人間という生き物の複雑ですね。とかく、「選択の自由」がある現代にこれからも感謝を忘れずにいきましょう。

最後に

「上級国民 / 下級国民」のハイライトした箇所を中心に、自分が感じたことを率直に述べていきました。

この他、「下級国民」のくくりに該当する人の思考などのインタビューストーリーがあったり、特に自分はその思考傾向が強い、または同じような人生を歩んでいる人を知っているので、同じ人生の選択に行きがちになり、シングルマザーになり経済的に苦しくなる、という方程式ではありませんが、同じ傾向があるんだろう(逆もまたしかり)と思いました。

では、成功者は成功者として、その思考傾向が必ずあるわけですが、人間何かを積み上げ、その結果が出るのは遅いですが、その積み上げたものを崩すことは簡単。人生もその方程式は当てはまる気がします。とて、自分をより輝かしていくための良い習慣、たんたんと積み上げていく過程は、もしかすると、それ自体が成功なのかもしれませんね。

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