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本当の貧困の話をしよう: 石井 光太

「本当の貧困の話をしよう」を読みました。最近、職場のお昼にそそくさとランチを食べ、その後、駆け足で本屋にいくのが習慣になっています。その本屋にいる約15分が仕事と育児から解放され、自分が何気にすることなく、唯一自由に使える時間でもあります。その中で、気になった本の一つ、「本当の貧困の話をしよう」です。

主に10代後半から20代前半の方へのメッセージに感じました。おじさんの自分にはちょっと語り調がムズカユな部分がありますが、貧困のことについて学べることが多かったです。
著者の石井 光太さんの凄い所は、実際にたくさんの国を旅して、本当に現地の人と生活を共にし、貧困の現実を体験されている所だと思います。

その体験から貧困に対する知見はもちろん、豊かな国に暮らす我々が、これから貧困をどのように捉え、向き合っていけばいいのか、貧困に苦しむ方達に寄り添うことは実は身近にあって、地域の皆で助け合うことが重要なんだと、そんな様々な気づきを与えてくれる一冊です。

本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式 単行本 – 2019/9/27

以下、ハイライトし、書き残した箇所です。おすすめの箇所でもあります。気になる文脈があれば、買ってみる価値はあると思います。

はじめに17歳の君たちへ

ウサーマ・ビン・ラディンという一人の狂信的な人間が起こした事件というより、世界の格差を野放しにしてきた先進国への反発ととらえるべきだろう。
もしアメリカを始めとした先進国がアフガニスタンの戦争や貧困に適切な対処をし、世界の格差をなくす努力をつみ重ねていれば、アメリカ同時多発テロ
の発生は避けられたはずだ。アフガニスタンの悲惨な状況を見て見ぬふりをして、自分たちの利益だけを貪っていたがゆえに、しっぺ返しをくらうことになったといえる。

日本は国民の7人に1人が貧困層

塾に行けずに進学をあきらめる子がいたり、親が病気をして働けずに生活保護を受けている子がいたりするはずだ。大学生の約半分が奨学金という名の借金を
背負わなければ、大卒の肩書を身につけることができずにいる。
経済大国でありながら、貧困大国であるというのは、どういうことなんだろう。
日本が経済大国とされる理由は、GDP(国内総生産)の数値がもとになっている。GDPとは1年間の「民需+政府支出+貿易収支の総額」であり、日本はこれが世界で3番目に高いとされている。これが世界第3位の経済大国と呼ばれる理由だ。

今の日本で、貧困は何を生むのだろうか。ヒントを出せば、人の心の中に生まれるものだ。だんだんと大きくなっていって、その人を壊してしまうもの。
答えを言おう。「自己否定感」だ。
自己否定感を言い換えれば、「劣等感」「あきらめ」「自暴自棄」でもある。生きている価値を見出せずに、将来についてもどうでもよくなってしまうことだ。

日本の福祉制度の光と影

日本ではどれくらいの人が生活保護を受給して暮らしているか想像つくかな。答えは、約209万人、163世帯(平成31年3月総計)。
これは、長野県の総人口に匹敵するくらいの数だ。
日本における貧困の特徴は、貧しい人たちだけが暮らす地区が目立った形であまり存在しないことだ。

福祉制度が整っていることの負の面を見てみたい。それは、「ごちゃまぜ」であるがゆえに、貧困者は常に富める人と競争を強いられたり、格差を見せつけられたりすることで自己否定感を抱きがちな点だ。

一番必要な支援とは何か?

なぜ食事や勉強以外のことに力を入れているのだろう。
貧困家庭の子どもたちの自己否定感は、質素な食事や教育費の不足だけで生じているわけじゃない。スポーツをする相手がいない、母親が仕事で疲れきって会話がない、誕生日を祝ってもらえない、といったことがつみ重なって大きくなっていく。

貧困の壁を乗り越える力

貧しい家庭で生まれようとも、学歴がなかろうとも、人は心のレベルアップを通して自信と意思をもつことができれば、どんなことでも成し遂げられるようになるということだ。

人生には困難がつきものだ。特に大変な境遇の中で生きている人はそれだけ多くの壁にぶつかることになるし、自暴自棄におちいりたくなることだってある。
でも、そんな時にくじけず、前を向いて進めるかどうかは、その人がどれだけ自己肯定感を育んできたかということにかかっているんだ。

世界で7億人が絶対的貧困

途上国の定義は、世界銀行や国連などの機関によってそれぞれだ。ただ、世界196か国のうち、おおよそ150か国がこれに該当するとされている。
つまり、世界の国の4分の3が途上国なんだ。
日本の貧困は、「相対的貧困率」によって分類されている。一方、途上国の貧困は「絶対的貧困率」という指標で考えられることが多い。
先進国の貧困と途上国の貧困とでは、それを測る物差しがまったく異なるということだ。
絶対的貧困の定義はこうだ。(1日1.9ドル未満で生活する人々)

スラムってどんなところ?

バラックの数が数千件から数万件になれば、国は手を付けることができなくなる。下手に退去させようとすると、住民たちが団結して抵抗してきたり、
暴動を起こして手がつけられなくなったりするからだ。あまりに手荒なまねをすれば、海外の人権団体から批判され、国際問題に発展しかねない。
そこで、国はやむをえずスラムに公的サービスを提供する戦略に出る。公衆トイレを設置したり、無料の診療所を建てたり、学校をつくったりする。
スラムの巨大化を放置しておけば、恐ろしい伝染病が猛威をふるったり、失業者たちが犯罪に走ったりする可能性がある。
そんなことになって国が脅かされるくらいなら、スラムを認めて衛生設備や教育を普及させた方がマシだという発想だ。

貧困問題を解決するテクノロジー

グラミン銀行は貧しい人を対象に担保なしで少額の融資を行う。その代わり、無条件でお金を貸すわけではない。借り手は5人1組になり、返済に対する連帯責任を負うことになる。
最初に2人が融資を受けた上で。銀行側と約束事を交わしたり、アドバイスを受けたりしながら返済を完了する。それができれば、他のメンバーにも融資がなされ、
同じようにメンバーで助け合いながら返済していく。
こうした手法をマイクロファイナンスと呼ぶのだけど、重要なのは借り主を女性にすることだ。男子はお金が手に入るとすぐにお酒や賭け事に使ってしまうが、
女性は生活を守るために節約し、他のメンバーに迷惑をかけないように一生懸命に返済しようとする。男性より女性の方が堅実なんだろうね。

1億5200万人もの児童労働者

児童労働は単純に減らせばいいというわけでない。
かつてパキスタンという国で児童労働の取り締まりの現場に立ち会ったことがある。あるNPOが警察ととも工場に踏み込んで、働いている子供たちを保護した。
でも、子供たちは幸せになったわけではなかった。彼らは家族を思って自発的に働いていたのに、それを禁じられたことによって、一家の生活が成り立たなくなってしまった。
父親は家族と離れて出稼ぎに行かなければならなくなり、母親だけが家に残った。
子供たちは児童養護施設に送られたけど、親から離れたくないという思いから施設を逃げ出して家に戻ってきた。しかし、工場は閉鎖されてしまっていて、他の会社も子供は雇ってくれない。
彼らはやむをえず、マフィアのようなグループの下で、違法DVDを販売する仕事をしはじめた。つまり、児童労働を禁じられたことで一家はバラバラになって、子供はよりリスクの高い状況に追いやられたことになる。

こうした事例を見て、君はどう思うだろう。
児童労働がいけないという意見はまったく正しい。法律で禁止して子供を救出することだって間違ってはいない。
しかし、だからといって児童労働を単に禁じただけでは、この家族のように余計に悲惨な状況につき落とされるだけだ。本来は、家族の生活を持続的に支えられる環境をつくった上で、子供を救出しなければならなかったんだ。
若い人は全体のバランスを見ずに、一つの善意だけで動いてしまうことがある。それでいい結果が出ることもあるんだけど、時には善意の押しつけとなって逆に当事者を苦しめることになりかねない。
支援活動を行う時は、善意だけで動くのではなく、全体のバランスを見ることもたいせつだ。

→ ボランティアなど、始めたばかりや、なにかアクションを起こし始めの頃にすごく見落としがちな内容だと感じた。貧困をなくすためには、常に当事者たちの生活を
全て見通せなければならず、子供に教育を無料で受けさせる機関だけではなく、子供が労働しなくて済むためには、家族全員が持続的な生活を安定させなければならない、一つの生活はたくさんのつながりがあって、どこか一つが欠落していてもだめなんだなと。支援もすごく難しいことなのだなと思いました。

日本と途上国は比べられるのか

なぜ彼らがそんなふうにエネルギーにあふれているのかといえば、貧しい暮らしに負い目を感じていないからだろう。一言でいえば、自己否定感がないんだ。
スラムでの生活が当たり前であり、裸一貫で何事にも飛び込んでいくしかないからこそ、心のレベルアップを実現して真っすぐに物を考えて行動できる。

→ 貧困と富、必ずしも絶対的幸福にはつながらない、と改めて思います。心のレベルアップは自己肯定感から生まれ、そして周りの環境に大きく左右される。
全くご飯が食べられず、生活できなくなってしまったら元も子もないけど、豊かな国で暮らせることは本当は自分次第でもっともっと高みを目指せることを忘れないようにしたい。

奴隷状態におかれた約1000万人の子供たち

HIVは体の免疫システムを壊す病気だ。数年の潜伏機関を経てエイズが発症すると、普通に暮らしていればかからにような病気に次々とかかる。
そして悪性リンパ腫やHIV脳症といった病気になり、命を落とすことになるんだ。

なぜ薬物に手を出すのか

ストリートチルドレンはそうしたことを全てわかっているはずなのに、なぜ薬物をやるのだろう?
逆説的な答えだけど、生きるためなんだ。
彼らは絶望に満ちた人生で、シンナーの幻覚くらいしか楽しみを見つけられない。シンナーをやっている間だけはつらい現実を忘れられるし、心から笑うことができる。
シンナーが心の支えになってしまっている。
しかし、シンナーを使って見えるのはすべて幻だ。気がつけば中毒におちいり、後遺症に苦しみ、命を削り取られる。

なんのために学校があるのか

人は一度考えることをあきらめてしまうと、泳ぎをやめた魚のようにどんどん沈んでいくことになる。この先何年も自分が売春の世界に留まればどうなるのか。これ以上自分が傷つけられればどうなるのか、そういうことが想像できないので、自分が光の届かない恐ろしい海底へ沈んでいっていることさえ自覚できない。そして、気がついた時には、もう二度と浮き上がれないところまでできてしまう。
こうしたことを防ぐには、何が必要なんだろう。
イマジネーションだ。思考停止するのではなく、自分の未来について考えていく力をもつことが大切なんだ。

ただ、物事を考える能力は、生まれつき備わっているものではないし、誰かに教えてもらって1日で身につけられるものでもない。自分を理解してくれる人たちに囲まれ、人から影響を受けたり、希望を抱いたり、何かに挑戦したりする中で、だんだんと身につけていくものだ。想像力を得るには、それなりの訓練が必要だ。
その訓練の場はどこなのか。それが、学校なんだ。

学校生活を通じて身につけるのは次のようなことだ。
・学校という社会の中で居場所の見つけ方や自己主張の仕方を学んでいく。
・いろんな家庭や仕事や人を知り、自分にとっての夢や理想を見つける。
・困難の壁が立ちふさがった時、誰に助けを求め、どうやって乗り越えるかを知る。
・自分だけでなく、他人を思いやる気持ちが、最終的に自分を救うことに気づく。

アインシュタインが教育について残した言葉
「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう」
教育の目的とは、学力を身につけることだけにあるのではない。そこで得たものにより、自発的に自分や社会の問題を解決していく力を手に入れることだ。
僕はこう思う。
人々の無関心は各ミサイルと同じくらいの暴力だ。しかし、君が学校で身につける教養は、それを打破して社会をより良いものにしていくことのできる最良の武器なんだ、と。
そういう観点から学校の役割を今一度考え直してほしいと思う。

なにが彼女を追いつめたのだろう

女の子は性犯罪にあうと、8割近い確率でPTSDになる。
女の子は「トラウマの再現性」といって、同じような悲惨な体験を何度もくり返す。売春をしたり、相手かまわずセックスをしたりすることで、レイプは得にひどい体験じゃなかったんだって自分自身に思いこませようとするんだ。

「反社会の子供」から「非社会の子供」へ

学者の間では、これは「船と港」の関係にたとえられることがある。
港(家庭)は、船(子供)にとって安心していつでも帰ることのできる場所であることが理想だ。最初、船はいつでも帰れる湾内をうろうろして航海する力をつけていく。
もし大雨が降るなどして怖い目にあえば、港に逃げ帰ればいい。そんな練習をくり返しているうち船はだんだんと大海原(社会)へと進出していけるようになる。
しかし、港が信頼できず帰る場所でなければどうだろう。船は航海をするための十分な力をつけないまま、荒海へと出ていかなければならない。嵐になっても、大波を襲ってきても、船は港に帰ることができず、荒れた海をさまよわなければならない。次第に船の帆や申板が壊れ、船員は力尽き、どんどん先に進んでいくのが難しくなっていく。こうなると、船の沈没は時間の問題だ。
つまり、子供がきちんと社会性を身につけて自立していけるようになるためには、幼い頃に親との信頼関係をつちかうことが重要だということだ。
家庭環境は、子供にとって生きていくために必要な力を習得する学校のようなものだといえるだろう。

貧困が連鎖し、格差が固定化しやすいわけ

①貧困家庭で子供が生まれ育つ。②家には教育費がなく、塾へ行けないことから子供の学力が低下する。③その結果、中卒、高卒の学歴しかつかない。④低学歴の人の多くが、給料の低い非正規雇用の仕事につく。実際に中卒、高卒の人たちの非正規雇用の割合はそれぞれ62パーセント、43パーセントと高い。⑤これによってその人は経済的に困窮し、貧困家庭をつくり出してしまう。

→ これはまさに自分が30歳までに歩んできた道です(汗) 一応、食べる物に困ったことはないので貧困といえるかは別だけど、塾へはもちろんいけなかった(というか、なぜ勉強するのか自体わからなかったし)結果、高卒でした。そして、フリーターという道へ、ただ、少し違っていたのは、夢や目標があったこと。その中で自己肯定感が高まりつつ、努力というものが何なのか、理屈より経験で理解できたことは大きかった。そこから何かスキル(戦闘力)がなければ生きていけないような気が心の中にフツフツと湧いてきた記憶があります。ただ、もし、自分にやりたいことが何もなく、環境だけに身を寄せていたら・・と思うと恐ろしいものがある・・(世代を超えた悪いループ)

犯罪がくり返される社会構造

「俺たちは何も弱者から金を奪っているんじゃない。さかのぼれば、最初にあくどいことをしてきたのは高齢者たちなんだ。あいつらは家庭に恵まれたというだけで学歴を得ていい社会に勤めて、バブルの時代を通して金をがっぽり稼いで人生を楽しんできた。一方、うちのおふくろは正社員にもしてもらえずに使い捨て同然に扱われた。息子の俺だった非行をすることでしか生きてこられなかった。あいつらは、おふくろや俺を「自己責任」だと言って見捨てて自分たちだけ贅沢をしてきたんだ。
今、あいつらにはその時に稼いだ金がまだあって、悠々自適な生活をしている。表向きは偉そうに格差は不平等だと言いながら、絶対に俺たち貧乏人に金を落とすようなことはしない。孫にブランド物の服を買ったり、英会話教室に通わせたりするのに、貧乏人には1円たりともよこさない。金持ちだけがいい思いをできる社会なんだから、今後もますます格差が開くに決まっているだろ。
そんな社会の中で貧乏人がまっとうな暮らしをするために、富裕層からありあまる金の一部をふんだくって何が悪いっていうんだ。俺は手に入れた金で遊んでるわけじゃねえ。ほとんど嫁さんにわたしているし、子供の教育費とか生活のために使ってる。
もし俺たちが悪いっていうなら、金持ちのヤツらは何も悪くねえのか?社会は悪くねえのか?そんな考えの方が間違ってるだろ」
君はこれを聞いてどう思うだろうか。

貧困と戦争の深いつながり

僕もウガンダで子供兵に話を聞いたが、その手法はあまりに非情だ。まず、神の抵抗軍は村を襲い、子供たちを集める。そしてナイフや銃を渡して、その場で「親や親戚を殺害して兵士になれ。さもなければおまえを殺す」とつげる。
子供は命が惜しいので言われた通りいする。親や親戚を殺せば、帰る家がなくなるし、村人たちからも人殺しという眼差しで見られるので、村を離れてゲリラ組織に加わらずをえない。こうして子供兵が誕生する。

子供兵のこうした悲しい現状は、同じ世界の出来事だとは思えないよね。でも、世界には30万人ほどの子供がいるとされていて、今君がこうしている間にも、彼らは戦争に駆り出されている事実があることを忘れないでほしい。

海外の貧困も日本の貧困もひとつづき

第二次世界大戦が終わった後、中国に残された日本人の子供たちがいた。彼らは大人になって日本に帰ることができたが、言葉の壁から条件のいい仕事につくことができず、貧困におちいった。
そんな家庭で育った子供たちが社会への怒りを示すように、怒羅権という暴走族を結成して暴れ回った。彼らは大人になっても仲間関係を維持し、同名の犯罪集団となっていった。
そして、今、語学を活かして海外の犯罪組織と組んで非合法商品を輸入したり、海外に拠点を置いて高齢者を狙った特殊詐欺をしたりしている。
このように、途上国の貧困は日本と無縁なわけではない。途上国の貧困は軽々と国境を越えて日本に悪い影響を及ぼすし、日本の貧困層がそうした問題と合わさってさらに深刻な事態になることがある。
すべてを地続きに考えていかなければ、貧困を正確にとらえたことにはならない。

貧しい人は「悪い人」なのか?

アメリカで南米からの移民を排除しようという意見がそこかしこで上がったり、日本の政府が海外の難民を受け入れに難色を示したりするのは、貧困の波が国内に入り込まないようにしたいと思っているからだ。
なぜそんなふうに考えるのかといえば、国はこの期に及んでも貧しい人のことを「悪いことをする人」とか「自己責任」ととらえているからだろう。だから壁で遮断しようとするし、受け入れを拒否しようとする。
一言で表せば、追い払えば済むと考えている。
じゃあ、本当に彼らは悪い人なんだろうか?
僕はまったくそう思わない。

親がいくらがんばっても、個人の力ではどうにもならない状況というのがある。仕事のお給料が低いためにどれだけ懸命に働いても生活が楽にならない、子供の面倒をみたくても病気で体が動かない、周りから差別を受ける…。
そうしたことが重なり、愛しているのに子供を支えることができなくなってしまう。だが、子供はなかなかそれを理解して受け入れることができない。だから、寂しさのあまり道を外れていって、生活や見栄のために犯罪に手を染めてしまうんだ。
ここには、本物の悪人なんていないよね。あえて言えば、社会が彼らを追いつめて悪人にしてしまっている現実があるだけだ。

貧困の連鎖は止められる

こういう状況を打破するには、どうすればいいんだろう。
親自身が子供を愛していてもうまく育てることができず、国のサポートも完璧でないのならば、地域の人たちが支えるべきだと思う。周りにいる一人ひとりが、困っている家族の力になってあげるということだ。

「親だって子供が憎くて育てないわけじゃない。どうしようもない事情っていうのがあるんです。ならば、それをきちんと地域が理解してあげて、うまく育てられるように助け船を出してあげることが重要なんだと思います、
そうすることによって親の愛情が伝わって、子供の未来が大きく変わることがあるんです」

地域支援が有意義なのは、親のもとで子供が育つことができる点だ。
施設にずっと預けっぱなしにされるより、親子関係を維持させた方が、子供にいい影響を与えることができる。親の愛情を感じ、地域の人と交わる中で、心のレベルアップをしていける。だからこそ、困難にぶつかっても、それを乗り切ることができるし、社会に居場所を見つけることができるようになる。
忘れてはならないのは、地域支援の主役は「地域住民」ということだ。制度でもなく、政府でもなく、困っている周りにいる一般の人たちだ。

未来は君を待っている

この講義を聞く前まで、君は貧困を解決するには政治家になっていっぺんに全員を救うようなイメージをもっていたかもしれない。でも、総理大臣だって、国連の事務総長だって、そんなことをすることはできやしない。
一人の力に任せるのではなく、僕たち一人ひとりが自分にできることをしていくことが重要なんだ。それが地域支援ということなんだ。
そうして地域支援が日本各地に広まれば、未来の社会は想像もできないくらい良いものになるはずだ。

本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式 単行本 – 2019/9/27

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