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DIE WITH ZERO: ビル・パーキンス

※本サイトはPR表記を含みます。

DIE WITH ZERO」読みました。本で書いてあることをかみ砕く方法として、僕はハイライトした部分の書き出しと、感じた事を思ったままに書く殴っています。

人生で一番重要なことは何か、どんな人生を歩めば後悔なく生きられる可能性が高くなるのか。そんな人生の生き方の提案として「DIE WITH ZERO」は訴えかけてくれるようです。

本を選ぶ基準として、自分がささるキーワードが3つ以上あれば買いだそうです。ハイライトの部分で気になる箇所があった方は読んでみる価値はあると思います。

 

では、早速いきましょう。見出しはDIE WITH ZEROの目次の部分です。

 

金やモノのために、あなたが失っているもの

「時は金なり」なんて古いことわざより、はるかに心に響いた。「仕事はライフエネルギーを奪い、代わりにお礼という紙切れに変えているだけじゃないか」と。
この本は、金のために人生を犠牲にすべきではない、仕事や物質の奴隷になってはいけない、と呼びかけている

→ 「働き方改革」という言葉が前年ぐらいから浸透してきましたが、団塊の世代が定年を迎え、ようやく、政府としてはテコ入れができるようになってきた背景があるようです。(なぜなら団塊の世代が票を握っているから)お金は人生を自由にしてくれる大事な要素ではありますが、囚われていてはいけない。DIE WITH ZERO の本題の一つと言えそうです。

「節約人間」への警告

節約ばかりしていると、そのときにしかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。人生は経験の合計だからだ。
では、最高の人生を送るために、経験の勝ちを最大限に高めるにはどうすればよいか?「生きているあいだに、限りあるライフエネルギーを最大限有益に使う方法とは?」と言い換えてもいい。この本は、この質問に対する私の答えである。

→ 続けて、「DIE WITH ZERO」という題名のテーマでもあります。経験、自分への投資のためにお金を出し惜しみしておけば、その時は過ぎ、年老いて動けなくなる頃には、若い時の感受性は衰え、二度とその時に経験しうることを逃してしまう。そうなっていては、人生において本末転倒ではなかろうか。ということでしょう。

借金してでも絶対にすべきこと

一般的に、本能的な行動は必ずしも良い結果にはつながらない。むしろ、誤った道に迷い込んでしまうことのほうが多い。
この本の大きな目的も、直感や本能に頼るのではなく、人生を豊かにする経験を意図的に選択する方法を示すことだ。データや論理に基づき、
何をすべきかをよく考えることが、最善の決断につながっていく。

→ 続いて DIE WITH ZERO のテーマの一つ。この本の目的は何なのかをよく考える。

人生で一番大切な仕事は「思い出づくり」

人生は経験の合計だ。あなたが誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる。
最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさが、どれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる。
だからこそ、この人生でどんな経験をしたいのかを真剣に考え、それを実現させるために計画を立てるべきだ。そうしなければ、社会が敷いたレールのうえをただ進むだけの人生になってしまう。

いつかは目的地(死)にたどり着くが、その道のりは自分自身が選びとったものではない。残念ながら、そんな人生を生きている人は多い。こう言い換えてもいい。彼らは人生という名の井戸から、毎日ポンプで水を汲んでいる。だがその水を、小さなコップでしか受けていない。コップはすぐにいっぱいになり、水が溢れてしまう。こうして喉の渇きを十分に潤せないまま時は過ぎ、人生の終わりを迎えるのだ。なんともったいないことだろうか。

人生最後の日に、満足のいく経験に満ちた人生を送れなかったと気づいたときの後悔がどれほど大きなものか、想像してみてほしい。
テレビドラマ「ダウントン・アビー」の執事、カーソンはこのことを見事に表現している。

「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」

→ 今回「DIE WITH ZERO」を読んだ中で一番ささった部分。「人生で一番大切なことは、思い出づくり」(そのテレビドラマしらんけど)
そこで連想したのは、宇宙飛行士の野口さん「宇宙は基本的には死の世界。生きていることは奇跡だと感じた」の言葉です。生きているのは奇跡。そして、豊かな国で生まれたことも奇跡であることをもっと自覚すべき。誰にでも訪れる死。これから子供と過ごせる時間、自分の成長をかけた仕事。どれも大切な思い出づくりの一つだと、新たに身が引き締まる思いです。

現代の社会では、勤勉に働き、喜びを先送りすることを美徳とする、アリ的な生き方の価値が持ちあげられすぎているということだ。
その結果、キリギリス的な生き方の価値が軽視されすぎている。つまり、キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきなのだ。この本の目的は、アリとキリギリスの生き方の中間にある最適なバランスを見つけることだ。

→ アリとキリギリスの童話自体、アリのような生き方が正しいと言わんばかりのストーリーではあります。キリギリスも確かに今を楽しむ観点では、とても重要な過ごし方だと思う。何でもバランスですね。

経験を増やすと、雪だるま式に幸せになれる

「この物件を、自分自身のためにどれくらい使うつもりかを考えるんだ。どのくらいの頻度で宿泊し、そこで何をするか?」
もし、頻繁にそこを訪れ、素晴らしい休暇を過ごし、子どもたちと絆を深め、家族や友人とかけがえのない時間を過ごせるのなら、それは最高の買い物のなるはずだ。

→ 始めて子供が我が家にきてくれて、数年前から車を購入するか迷っていたけど、二人目の子供とコロナ禍もあり、最近車を買いました。なんせ維持費がすごく高いので、子供たちがいなければ絶対に買わなかったけど。この本で購入を決断した節もある。長女には色々我慢させてきて、本当に申し訳ないけど、これからいっぱい色んな所へ一緒に行きたいと思います。皆も迷っているなら、ぜひ行動してみた方がいいかも。

「老後の備え」より大切なこと

もちろん、老後の備えは必要だ。だが、老後で何より価値が高まるのは思い出だ。だから私はあなたに、できるだけ早く経験に十分な投資をしてほしいと考えている。記憶の配当について考え始めると、「善は急げ」だということがよくわかるようになる。

経験への投資が早ければ早いほど、記憶の配当はたくさん手に入る。20代に何かを経験すれば、30代で経験したのに比べて長い期間、記憶の配当を得られ続ける。
リターンの合計が元の経験を上回ることさえある。逆に、死の間際で何かを経験しても、もらえる記憶の配当は少なくなる。
だから、とにかく早い段階で経験に投資すべきだ。そうすれば、年齢を重ねるほどに驚くほど多くのリターンが得られる。

→「DIE WITH ZERO」を読んでいると、貯金なんかしてるぐらいなら、自分への投資を惜しみなくしなーという雰囲気が伝わってくるのですが、要所要所で、蓄えをしないとは言っていない。それはとても大事なことだと断りが入っている所、啓発されやすい人に対しての警告でもあるように思う。

記憶の配当について考え始めると、「善は急げ」だということがよくわかるようになる。経験への投資が早ければ早いほど、記憶の配当はたくさん手に入る。
20代に何かを経験すれば、30代で経験したのに比べて長い期間、記憶の配当を得られ続ける。リターンの合計が元の経験を上回ることさえある。
逆に、死の間際で何かを経験しても、もらえる記憶の配当は少なくなる。
だから、とにかく早い段階で経験に投資すべきだ。そうすれば、年齢を重ねるほどに驚くほど多くのリターンを得られる。

→ 経済的に豊かになることはなかったけど、自分が若い頃にダンスに夢中になっていたことでたくさんの人との出会いがあったり、経験があったことは、めちゃくちゃ大切なことのように改めて感じました。そして、何か救われたような気持ちに。何かを達成したとしても、経済的に豊かになれないのは、どこか悔しい。でも、そんな思いをしている人もたくさんいる。人は生活をしていかなければならない現実があって、それでも自分の好きなことに真っすぐ向き合えることは素晴らしいことの一つだと思う。

「金を稼ぎたい中毒」の末路

真実は一つだ。
莫大な時間を費やして働いても、稼いだ金をすべて使わずに死んでしまえば、人生の貴重な時間を無駄に働いて過ごしたことになる、その時間を取り戻すすべはない。

→ 確かにその通りなんだけど、超合理的。でも、それぐらいじゃないと、人生一度きりの貴重な時間を無駄に過ごしてしまいやすくなるかな。この文章の後に出てくる、著者の元彼女の人もダンサーという職業をしていましたが、経済的に豊かになるのは難しいかったらしい。でも、自分の好きなことをしている充実感は何ものにも代えがたいものだったようです。

私たちの問題は「できる限り人生を充実させるにはどうすればよいか」だ。見境なく豊かになることではない。
つまり、この本の目的は、富の最大化ではなく、人生の喜びを最大化するための方法を探すことだ。この2つは根本から違う。

→ ただ、豊かになることで、安心を手に入れることができたり、時間を自由に使える。自分の真にやりたいことに直結することはできる限り人生を充実させることにつながる。ただ、人には欲があり、心の在り方一つ間違えると、底なし沼に。そうなると頭を相当打たないと這い上がってこれなくなるので、常日頃から最低限気を付けたい事柄の一つ。

人生が変わる「死」のカウントダウンアプリ

「ゼロで死ぬ」とは、金だけの問題ではない。それは時間の問題でもある。限られた時間とエネルギーをどう使うべきか。私たちはそれを、もっと真剣に考えるべきだ。
それが、人生を最大限に豊かにすることにつながっていくのである。

→ ゼロで死ぬ、人それぞれに与えられた寿命はいつかゼロになる。最近、「限りある時間の使い方」という本が気になっているが、なぜ、自分達が真剣にやるべきことをやれないのか?というテーマがどこかにあったと思う。確かに人は、「もっとこうした方がいい」と頭で理解していても、行動に移せないことがたくさんある。

死んでから与えるのは、遅すぎる

私は決して「子どもたちに与えるべき金まで含めて、死ぬ前に使い果たすべきだ」などとは言っていない。子どもたちに与えるべき金を取り分けた後の、残りの「自分のための金」を生きているうちにうまく使い切るべきだと主張しているのだ。

→ 要所要所で出てくる、勘違いを払拭するための、お金に関すること。要は、この本が強く言いたい一つは「若ければ若いほど、経験に惜しまず投資せよ」ということだと思う。

死後にもらうと、うれしさ半減、価値は激減

どれぐらいの財産を、いつ与えるかを意図的に考え、自分が死ぬ前に与える。それが子どもを真に大切にし、自分よりも優先して考えていることにほかならない。

→ 新しい発見でした。もし、自分に財産があるなら(苦笑)生きている内に子ども与えよう。(与えられるようにコツコツがんばろっと)

多くの人がそれをできていない大きな理由の一つは、意図的な行動の対話にある無自覚な生き方、すなわち「自動運転モード」に陥ってしまっていることだ。
このモードで生きていると、意図的に何かを考え、行動を変えなくてもいいのでラクだ。だからこそ、多くの人はそんなふうに生きている。

→ 得に年齢が若い内は、生きていること自体が当たり前のように感じることが多かったように思う。「自動運転モード」は悪いように書かれているけど、人間にとっては必要不可欠なものだと思う。なぜなら「何かを熟達するのが難しくなる」と思うから。何かを練習することで自動運転モードが発動し、より当たり前にできるようになる。そして、その先の知識や経験を取り込めるようになる。ただ、この話では、自身の成長がない状態を危惧して述べているのだろうけども。

親と過ごす時間が子に与える驚くべき効果

私たちが子どもに与えられる経験のなかには、一緒に過ごす時間そのものが含まれている。子どもにとって、親と過ごす時間は重要だ。子どもの心のなかにある親との思い出は、良くも悪くも彼らの生涯に影響してくる。
研究によると、幼少期に親から十分な愛情を注がれた人は、成人後も他人と良い関係を築け、薬物中毒になったりうつ病を発症したりする割合が低くなる。

「子どもと何かを経験すること」というと、一緒にどこかに出かけたり、何かをしたりするイメージを浮かべる人が多い。だが、親から人生を学ぶこと、あるいは単に一緒に過ごす時間も経験に含まれる。
これらは、子どもの成長に必要不可欠だ。親から子に与えられた愛情や時間は、ときとして驚くべき形で報われる。

→ 子どもと過ごせる時間、本当に重要だと思う。特に今までの時代が男性は稼ぎ頭として、育児は女性、というイメージが強すぎる。持論だけど子どもの育児というのは親二人が50%ずつ担うものなのではないのか?と思う。でも、サラリーマンが会社に雇われて中々、言いづらい現実もあるだろうし、国がもっと力を入れるべきだけど、
国を動かしている世代のほとんどが団塊の世代で、育児は女性でしょ。ということを当たり前に思っている人って多いと思う。育児は力仕事なので男性がやらせてもらうべき。

子どもとの経験か?仕事か?

何かを優先させれば、何かを逃すのは自然の理だ。家族と過ごすその時間は、働いてお金を稼げたはずの時間でもある。その逆も然りだ。
つまり、人は大切なことだけに時間を費やすわけにはいかない。すべきこととのバランスを取らなければならない。
そこで大切なのは、「金を稼ぐこと」と「大切な人との経験」をトレードオフの関係として定量的にとらえ、自分の時間を最適化することだ。

子どもはいつまでも6歳のままではない。7歳のままでもないし、いつかは成人して子どもではなくなる。
かけがえのない機会が次第になくなっていく、という事実を意識しながら経験と金のトレードオフについて考える。すると、仕事をとるか、
子どもとの時間をとるかの判断をより深く考えられるだろう。
また、子どもの視点で考えたとき、あなたが与えられる価値は何なのかも考えてほしい。
一緒に一日を過ごすことなのか?学校から帰ってきたときに家にいてあげることなのか?学校から帰ってきたときに家にいてあげることなのか?
サッカーの試合や音楽の発表会を見にいくことなのか?

金は稼いでいても、一緒に時間を過ごせず、経験も共有できないのなら、それはむしろ子どもに大切なものを与えているのではなく、奪っていることになる。
子どもの人生を豊かにするのも「金」ではなく一緒にすごした「経験」なのだから。

→ 自分のことではっきりと言えることは、仕事と育児をしっかりと両立できていることだと言える。それはとても幸運なことだと考えているし、この先も今の環境は当たり前だと思う事はない。サラリーマンであれば、出会う人、会社により、子どもとの時間は大きく左右されることになると思う。ただ、その幸運もできるだけ自分からつかみ取れるように努力も怠ってはいけない。自分もなーんにもなしでは到底、今の会社の仲間として受け入れてもらえなかったと考えているし、今までの努力と経験があったからだとも思う。

チャンスの平等は目に見えるものじゃないから、本当に平等にやってくるのかどうかはわからないけど、人それぞれのリズムの中で良いリズム、悪いリズムの時は繰り返しがあると感じる。良いチャンスがやってきたときは、それを掴み、受け取れる準備は日頃からしておくべきだと強く思います。

金の価値は加齢とともに低下する

原則は一つだ。経験から価値を引き出しやすい年代に、貯蓄をおさえて金を多めに使う。この原則に基づいて、支出と貯蓄のバランスを人生全体の視点で調整していくべきである。

健康のために食生活を改善する方法を学ぼう将来の経験をより楽しむために、身体を動かす機会(ダンスやハイキングなど)を増やそう。

中年期には、金で時間を買いなさい

 

時間をつくるために金を払う人は、収入に関係なく、人生の満足度を高めることがわかっているのだ。言い換えれば金で時間を買うメリットを享受するのに、金持ちである必要はない。

いつまでも子ども用プールで遊べると思うな

実際のところ、私たちが思っているほど先の足できない経験は多い。にもかかわらず、私たちはそれを自覚してない。まるで、いくつになっても幼児用や子ども用のプールで遊び続けられると思っているように。
喜びを先延ばししすぎた後悔は、人生の終わりに一度だけ味わうわけではない。それは長い人生のなかで、何度も繰り返し頭に浮かんではくるものだ。
高校生活で楽しい経験には目もくれず勉強に明け暮れたティーンエイジャーも、子どもたちとのかけがえのない時間を逃してまで仕事を優先させた父親も、
一生、後悔し続けることになるだろう。

死ぬ前に後悔することトップ2

最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。他人が望む人生ではなく、自分の心の赴くままに夢を追い求めればよかった、と。
人々は、自分の夢を実現できなかったことを後悔していた。自分の心の声に耳を傾けず、誰かに用意された人生を生きていると、人生の最後に大きな後悔を抱くのかもしれない。

→ でも、きっと当時の自分なりに勇気を出して、もっと自分に忠実に生きたとしても、多分、人生ってそんなにうまくいかないものだと思う。特に恋愛なんていうものは、自分の気持ちだけでなく、相手の気持ちも同じでないと成立しないものだから。人に対しての依存で執着しない方が幸せを感じやすいし、自分がコントロールできるものに忠実に生きていければ、それがベストだと感じる。

「いずれ失われること」に目を向ける効用

人は終わりを意識すると、その時間を最大限に活用しようとする意欲が高まるということだ。
見知らぬ土地を観光するとき、私たちはこれと同じような体験をする。滞在期間が一週間だとしたら、最終日までのあいだにできるだけたくさんの名所を訪れ、ツアーやアクティビティにも積極的に参加しようとする。
遠くに住む友人に会いに出かけたときも同じだ。一緒にいられる時間は限られているから、その貴重なひとときを最大限に味わいたいと思う。
だが、自宅にいるときはそんなふうに行動はしない。私たちは、いつもの日常がこれからも続いていくのを当然だと考え、積極的に誰かと会ったり、どこかに出かけたりはしない。
それはある意味で当然だ。誰もが忙しく毎日を過ごしているのだし、毎日を旅行中のような気分で過ごすのは非現実的だ。
私たちは、地元の博物館やビーチにはいつでもいけると思っているし、友人ともいつでも会えると思っている。その結果、夜は自宅でテレビを見て過ごし、週末も得に何をするわけでもなく無駄にしてしまう。
人は豊富で無限にあると感じられる何かに対しては、その価値を低く見積もりがちだ、だが現実には、人生の各段階で使える時間はそれほど多くはない。もちろん無制限でもない。

→ 人が陥りやすい感覚を的確についている文章だと思います。誰もが当てはまるような気がしてきます。そう、そして時間は無制限ではない。それも皆わかっている。
でも、日常はなんとなく過ぎ、気が付けば年を取る。でも、それでいい人もいるし、人それぞれ。ただできるだけ後悔はしたくはないですよね。

最後に

最後に一番印象に残った言葉は、「人生で一番大切なのは、思い出をつくることだ」という言葉でした。
この本を一言で表すならば、この箇所を選ぶと思います。死は必ず訪れて、死後は身体はもちろん、何も物理的な物は持っていけません。
自分という存在も最後。死後の世界は生きている人は誰もわからないけども(スピリチュアル的なものは置いといて)だったら、良い思い出をできるだけ作れるようにしておきたい。
思い出は記憶であり、何度も思い返しておけば、忘れることはありません。自分なりに青春も色々経験しておいてよかったなあーと「DIE WITH ZERO」を読んであらためて実感できました。

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