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歴史思考: 深井龍之介

※本サイトはPR表記を含みます。

「歴史思考」読みました。結論から言うと、とても面白かった。あっという間に読み終えてしまいました。歴史を知れば、自身の悩みを解消できる可能性が高くなり、むしろ、悩み・苦しみの根本となる価値観は時代と共に移り変わっていく。「正しい」とされてきたものが、将来どうなるかわからない。そして、自身の存在自体も同じ。自分が何かを成し遂げないといけないとか、何のために存在してるのか、どの道へ進めばいいのか、生きてる価値は何なのか。そんな漠然とした悩みも、「歴史」という長い目で見て見れば何でもないということ。

もし、何かが上手くいかなかったとしても、それ自体を良かれ悪かれ判断するには、早すぎるとのことです。大切なのは、ただただ「そこに存在している」という事実。自身の存在があるからこそ、誰かのためになっていたり、その刹那刹那の出来事が後に大きな変革を起こす出来事の発端かもしれない、過程の一部かもしれない。歴史は複雑な出来事で要素が絡み合っており、言い換えれば誰もが価値ある存在なのだ。そんなこと知らせてくれる良書です。

特に印象に残っているのは、現代は物が溢れ、お金という価値が重んじられ、そして人生の選択の自由な時代であること。それは歴史上振り返ってもなかった。逆にその自由さが人々を苦しめる要因にもなっていて、その自由を自身でコントロールするためには教育だけでなく、特に教養が必要になること。なので、教養を獲得するために学びは常に必要であることを再認識させてもらいました。一つの血肉として、自分の要素に取り入れます。

そして、また出てきました最近の自身のキーワード「古典」。著者は「コテンラジオ」という音声メディアを軸に活動されていて、古典の大切さを、本書でも教えていただけます。

古典。とりあえずとっつきすい漫画とかから入ってみようと、孔子の「論語と孔子」を読んでいる過程です。古典がなぜ難しいか?ですが、本書で書かれていたことではありませんが、「時代背景が違うから」というのが主らしいです。たしかに、何を言っているのかわからないとか、イメージしにくいというのが古典の壁を高くしている様に思えます。あと、文章自体が昔だと言い回しもだいぶ違うので、頭に入ってきにくい。どちらにしても古典を理解できない、読めないのは自身の読書スキル問題なので、少しずつレベルアップしているように努力を継続していきたいと思います。

とかく、「歴史思考」おすすめ。

 

以下、ハイライトです。

歴史を知れば楽になる

価値観は絶対ではなく、場所や時代によって変わります。
「家がある」とか「飲み水がいつでも手に入る」といった僕らの生活環境が当たり前でないように、「人殺しはダメ」とか「体が弱い人には親切にしよう」といった僕らの価値観も当たり前ではありません。
歴史を知るというのは、こういうことです。
決して退屈なお勉強ではなく、僕らの「当たり前」が、当たり前ではないことを理解するということなんです。
僕はそれを、「メタ認知」と呼んでいます。

弟子に裏切られて処刑された、元大工の政治犯(キリスト)

少し乱暴に言えば、実在のイエスは、地方都市で処刑されたちょっとエキセントリックな元大工にすぎないのです。話はうまかったのかもしれませんが、話がうまい人なんて世界中に山ほどいます。

イエスと孔子の共通点

短期的なスパンで自分や他人を評価しないほうがいいいということです。今、人生がうまくいっていない人も、あまり落ち込まないほうがいいでしょう。
十字架に磔にされるよりは確実にマシな人生だと思いますし、将来のことは分かりません。

「新約聖書」も「論語」も死後のもの

イエスと孔子には、ほかにも重要な共通点があります。
彼らの最大の業績であり、その後、世界を変えることになる「新約聖書」と「論語」は、いずれも彼らの死後、かなりの時間が経ってから後世の人間たちによって書かれた、という点です。これらは、イエスや孔子が自ら筆をとったわけではありません。
それはつまり、イエスや孔子の言葉が、「直接」世界を変えたわけではないということです。多くの人の手を経て、間接的に波及していったんです。

78歳、銃弾に倒れる

ガンディーのすごいところは、暴走していく社会を目の当たりにしてもなお、周囲ではなく自分に原因があると考えていた点です。
彼は、自分が人間的な高みに達していないから周囲を説得できないのだと考え、最後までヨガなどの修行を続けていました。
彼はやはり、聖人と呼ぶに足る人間だったと僕は思います。

家族に疎まれた聖人の横顔

ガンディーがインド独立に大きな役割を果たしたことは間違いありません。その人の徳に多くの人が魅了されたのも事実です。
でも、リアルな彼はうだつの上がらない青年時代を送り、子育てに失敗し、晩年にはごく親しい人からもドン引きされる方法で性欲を消す修行をやっていた人でもありました。
死に方も全然、幸福じゃありません。愛を説いてきたのに、憎悪によって殺されたわけですから。
これが、聖人のリアルです。ガンディーの生涯から分かりやすい結論を引き出す必要はありません。僕が言いたいのは、歴史も人間も複雑で、多面的だということです。

人生のクライマックスはずっと先

なぜ偉人は遅咲きが多いのでしょうか?
理由の一つは、人は歳を取るほどしょぼくれていくように思われがちですが、実際は逆にどんどん可能性が広がり、加速していくからではないでしょうか。
だから、まだ若いうちから絶望したり有頂天になるのはやめましょう。
あなたの人生はまだ、ちまちまと伏線を貼っている段階にすぎません。クライマックスはまだまだ、ずっと先なんです。

「奇跡の人」はいったい誰なのか

19世紀初頭のアメリカの農村では、障がい者やネイティブアメリカンの地位はものすごく低いものでした。被差別層として社会の底辺に押しやられていたと言っても過言でありません。
テニーやテニーに手話を教えたネイティブアメリカンにも、偉業を成し遂げた自覚はなかったでしょう。彼らはただ生きていただけです。
しかし、そういう人々の「存在」が複雑な連鎖反応を生み、ヘレン・ケラーという奇跡につながったんです。
僕がこの章の冒頭で、「存在すること」が何より大事だと言ったのはそういう意味です。
生きることに意味があるのであって、その人生がどういう意味を持つかなんて、分かりっこありません。ましてや、その人が偉いか偉くないかなんて。判断のしようがありません。歴史は複雑なのです。

中央集権だったからヨーロッパに負けた

あれほど強かった中国が、なぜ、はるかに小さい国々に食い物にされてしまったのでしょうか?そこにも、さらに長期的な歴史の皮肉が作用しています。
例によって、本を一冊書けるくらいの内容を数行に圧縮してお伝えすると、近代ヨーロッパがあれほど強くなった理由の一つは、産業革命が起こり、資本主義が生まれ、経済力と工業力が増したことにありました。

命の価値もとても低かった

命の価値が低かったのは、死と隣り合わせの環境だったことと密接に関係しているのではないでしょうか。
もし命を重んじていたら、武士は勝ち上がれなかったでしょうし、農民は家族が増えすぎて、飢え死のリスクに直面していたでしょう。
僕たちの価値観は、環境によって強く規定されています。ということは、環境が変われば価値観も変わるわけです。
それは、「絶対的な価値観が存在しない」ということでもあります。

悩みの答えは古典にある

困ったとき。悩みに直面したときはどうすればいいのでしょうか?
僕のオススメは「古典を学ぶ」です。
僕の言う「古典」とは、時代を超えても価値を失わない、人類の叡智が詰まった書籍のことです。
あなたの悩みの答えを探すためのヒントは古典の中にあります。

古典を読めば、過去の天才たちの頭を借りて、自分の課題や悩みに向き合うことができるからです。

特定の価値観に距離を置くと「私」が広がる

教養によって特定の価値観や考え方から自由になるのが「メタ認知」なら、特定の「私」から自由になるという究極のメタ認知が「悟り」です。

生き方を選ばなければいけない現代

中世のヨーロッパや江戸時代の日本と比べたときの、現代のユニークさとは、何でしょうか?
一つは、人々が過去のあらゆる時代よりも自由だということです。
自由だから、生き方を自分で決められます。選ぶ自由があるのはいいことに思えますが、別の表現をすると、「生き方を自分で決めなければいけない」ということでもあります。
だからこそ、現代人は過去を生きた人間より大変でもあるんです。

日々、決断を迫られる現代人に必要なのが教養や古典です。
あなたが直面するのと同じような悩みに、過去にぶつかった人は絶対にいるはずです。ならば、彼らが残したものを利用しない手はありません。常に選択を迫られる現代人にとって、教養は必要不可欠なものなのです。

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