「電車の中で本を読む」読みました。本書は2016年から2022年まで高知のフリーペーパー「K+」に連載されたものらしいです。
島田潤一郎さんは「長い読書」で知りました。みすず書房からの出版なのですが、みずず書房から出版される本はどれも専門性が高く、読むのが難しくていつも挫折します汗。それでも、挑戦しつづけたいと思うほど、本のカバーや内容が魅力的なものが多いです。※「長い読書」の途中で本書に..
そのつながりから、本書もまた読書に関する何か知見を得ることができるのではないか、という期待を込めて読みました。
印象に残ったのは、自分と同じような状況(育児)の部分ですね。育児に大変さについて、包み隠さず大変さを書かれている所もすごく共感。そして、育児に対する親の立場としての考え方にも共感です。(育児の場合、実際に育児されている方への共感の度合いの高さよ。。)
「THE CHILD CODE 「遺伝が9割」そして、親にできること」という本があるのですが、子どもの個性って、遺伝子レベルで決まっている、と本書は主張しているものですが、自分も今まで子育てをしてきて、毎日を一緒に過ごしていると、実際そのように感じることが多いです。
で、親にできることと言えば、結局限られていて、それを親に思うように子どもをコントロールしようとするとお互いが疲弊すると思います。
著者の島田さんもの本書で述べられてますが、「子どもを尊重する」「褒め、自信をつけさせる」「親は毎日ちゃんと働き稼ぐ」※要は安心安全な生活を子どもに提供する。
これぐらいだと。自分も第一子が幼児のころは、「あれはダメだこれはこーしないさい」的な部分が強くあった部分があり、改めて反省し、二人目には、できるだけ考えていることを尊重し、褒めて、そして、自分らしさを大切にしてもらえるように心がけてます。(その教育方針が妻と溝が生まれた一つでもありますが..汗)
話を戻して、本書で紹介される書籍の数々をすでにたくさん購入していますし、また、つい購入してしまうほど、魅力的な紹介だな、と読み終えてからも感じます。「次にどんな本を読もうかな?」と感じている人には強くおすすめ。
以下、ハイライトです。※本紹介の内容そのままも含む
子育てに疲れている人へ
世の中にはたくさんの子育てにまつわる読み物があり、物語がありますが、ぼくは子育て中にそうした本を手に取ることはほとんどありませんでした。
それは単純に、目の前の現実だけで手一杯であり、本の世界でまで子育てのことを考えたくなかったからです。
妖怪の世界に没頭する子ども
当たり前ですが、子どもの個性はひとりひとり違います。幼稚園には約100人の園児が通っていますが、みんながみんな違います。彼らは親の影響とか育て方、というよりも、もって生まれた個性によって話し、遊び、考えているように思います。そしてもし、それがそのとおりなのだとしたら、親ができることなんて、ほんのわずかなことしかないのです。
それは一言でいえば、子どもを尊重するということ。彼らの行動や考えを褒め、自信をもってもらうということ。彼らを支えるためにいつまでも健康であるということ。そして毎日ちゃんと働き、稼ぐということ。
なにがあっても大丈夫
子どもが健康で、浮かぬ顔をしていなければ、あとはなんでもいい。
それが親として、ぼくが思うことです。勉強ができなくてもいいし、親友がいなくてもいいし、好き嫌いが多くてもなんの問題もありません。
人生のレールを外れたら
当時のぼくは働く意欲がありました。もしどこかの会社がぼくを雇ってくれるならば、その恩を決して忘れず、会社に身もこころも捧げるつもりでいました。けれど、そうした姿勢は評価もされず、自分の思いをアピールする場も与えられませんでした。
残された選択肢は二つか三つ。入ってもすぐに辞めざるを得ないブラック企業に入社するか、とりあえずアルバイト派遣社員として働き、正社員登用の千載一隅の機会を待つか。または、独立を目指すか。
自業自得だといわれれば、それまでかもしれませんが、学校を卒業してそのまま就職しなければ、生涯その罰を受け続けなければいけない社会とは、いったいどんな社会なのだろうか?と思います。
働くことの美しさを知る
戦争がいちばん激しいころ、家族ですくないおかずを箸でつついていると、子どもたちの様子がいつもと違うことに祖母は気づきました。
子どもたちは皿のおかずを探るように箸を動かし、せっかくおかずを挟んでも、それをポロポロとこぼしてしまうのです。
「目が見えんなったか?」
祖母が心配して聞くと、子どもたちは、
「おかあ、そんなこというな」
とキっとした表情で返したといいます。
夫は戦地から帰らず、幼い子どもたちは栄養失調によって、戦後を迎えることはできませんでした。
本を読むことの意味
思い出してみると、ぼくが本を強烈に欲していたのは、いつもこころが弱っているときだったような気がします。
でも、こころがほんとうに弱っているときは、数ページも読めないのです。
一ページにはだいたい600字ぐらいが詰まっているのですが、それを読み進める集中力も気力もありません。その挫折がさらに自分のこころに暗い影を投げ、どこにも行けないような気持ちになります。
それでも再び読書をはじめるのは、それがおもしろいというよりも、本を読むことがぼくの人生と深く結びついているからです。いってみれば、自分という空っぽのなかに、だれかが書いた小説や随筆や詩をどんどんと投げ込んでいくことが、ぼくにとって生きるということなのかもしれません。
いい文章ならいい小説
学力を上げるということは、知識を身につけると同時に数式や、文法、外国の過去の出来事や年代といった抽象的なことを効率的に学ぶ力を鍛えるということです。そうした力を身につけることを拒むのであれば、身体を動かす時間がそのまま価値となるような仕事を選ぶほかありません。
子育てが大変なときに
ぼくのこれまでの子育ての経験をひとことで言い表すならば、「大変」の一言に尽きます。育児が大変だとは聞いていましたが、これほどまでだとは思っていませんでした。
親であるぼくが泣いてしまいたくなるときもあるほどです。