「島の卑怯者」読みました。戦争という生と死の極限状態の中で、国の存続をかけて、臆病と勇気の生命の紆余曲折が実際に現場にいるかのごとく読み進めることができる作品です。
当時、「戦死することが正しい」とされる考え方は、読んでいる最中、間違っていることではないような気がしてくるし、逆に国のために命を懸けることができないものは臆病者であるということが「正」とされている。そんな厳しい現実の中で敵と戦う姿、簡単に言葉で言い表すことのできない複雑さを感じました。
前線部隊の隊長は戦いの最中、自決することになりますが、その間際、常に妻のことを想い、本当は戦いに出たくなかった、でも国を守るために出撃するしかない、部隊の隊長でも一人の人間であり、大切な家族がいる。そのストーリーが印象的だった。
隊長は自身のことを女々しいなどと言うのですが、自分は女々しいともなんとも思わないし、家庭を大切にする姿勢は当然です。でも、死を目の前にした戦いの最中、どんなに苦しくても、どんな大切な個人の思いがあっても、無に等しく、むなしく散っていく様子が戦争のむごさだと痛感しました。
仲間と共に靖国に行くことができなかった主人公は、祖国に生きて帰ることが恥ずかしい、終戦してもその苦しさから解放されることはなく、むなしい最後を迎えることになります。何も生きて帰ることなど恥ずかしいことでもなんでもないし、むしろ生きることが大切、もっと言えば戦争で命を落とすなら国外へ逃げたっていいと思う。命が何より大事だから。
ですが、それもいざ国が滅ぶかどうかの直面では、無意味に等しい価値観なのかもしれないし、それぞれの意見の対立があるのは、この本を読んであらためて考えさせられました。自分が思うこともただのきれいごとかもしれない。
結局、戦争の時代に生き、そして祖国のために戦死された方も生き延びた方も、どんな価値観であれ、誰も何も正誤など判断できないのではないか、と考えています。
元を辿れば、戦争の決断は政府です。でも、その政府を形づくるのは選挙であって、当選させるのは国民。結局は我々全ての問題なのではないか。とも思えます。
今のウクライナとロシアのように、いきなり侵略されたとしたら・・?国際法なんてものはウクライナとロシアの現状を見ていると抑制力があってないようなもの。日本は「戦争を放棄します。軍隊持ちません。憲法で守られてます。なので侵略なんてされない!」っていっても、違う国が「侵略」というカードを切る可能性はゼロと言えるのでしょうか。考えれば考えれる程、恐ろしいです。
戦争のこと、もっと深く知るべきだと思います。