BOOK LIFE

読書する人だけがたどり着ける場所: 斎藤 孝

「読者」がいなくなった時代

読書は「体験」なのです。実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は、体験しているときの脳と近い動きをしているという話もあります。

→ 読書は体験。なるほどですね。中々そこまでの感情移入ができる本と出会えない、またはその波長というかですね、良い本でも読むタイミングがあるようで、その時の自分の心の環境によって異なりますね。そこで多読によって、自分の波長にあった本を読むことが必要なのかなと思ったりします。

専門バカになってはいけない

専門分野は当然詳しいのでしょうが、そのバックグラウンドとして一般教養があるべきだと私は思っています。哲学なしに科学をやるとか、文学的なものを知らずに経済学をやるというのは危険なことです。だから大学一年生には教養課程があります。それがリベラルアーツというものです。

→ そもそも大学に教養課程があることすら最近まで知りませんでした汗。リベラルアーツ、どれらをどれぐらい学び続ければ自分の血肉になるのかまだわからないけど、いずれ身につける。

人類の未来のために

動物や虫たちは地域や時代を越えたところにいたものたちが、何を考えていたかを知ることはできません。
本を読まないのは、ホモ・サピエンスとしての誇りを失った状態。
集中力もさらに低下して。いよいよ「本を読まない」ではなく「読めない」ようになってしまったら、人類の未来は明るくないのではないかとすら思えてきます。

→ 厳しいお言葉ですね。特に本を読まないの人としての誇りを失った状態だと。でも、育つ環境によって、本を読む重要性に気づけない人も多くいることを忘れてはいけませんね。

「深い人」「浅い人」は何が違うか

教養とは、雑学や豆知識のようなものではありません。自分の中に取り込んで統合し、血肉となるような幅広い知識です。
カギとなるのは、物事の「本質」を捉えて理解することです。バラバラとした知識がたくさんあっても、それを総合的に使いこなすことができないのでは意味がない。
単なる「物知り」は「深い人」ではないのです。教養が人格や人生にまで生きている人が「深い人」です。

→ 深い人の定義。自身はまだまだ深さが足りませぬな。

コミュニーケション能力は文字で磨かれる

「なぜ美人ばかりが得をするのか」は認知科学と進化心理学の知見をもとに「美」の謎を解き明かすという本ですが、この本によれば。
進化の過程の中で「生殖能力が高く、健康で、種の存続に最も適した姿形を美しいと感じる」ようになっているそうです。
要するに、「美しい人=種の存続に有利な人」と判断されているのです。

→ 少し「読書する人だけがたどり着ける場所」のテーマとはずれてはいますが、興味深かったのと、腑に落ちた感じがしたので、ハイライトしていました。美しい定義ってなるほどな。と。

1テーマ5冊読めば「ランクA」

あるテーマについて知りたい場合、続けて5冊ほど読むとかなり知識が得られます。私は一人の研究者、学者の先生につき、だいたい5冊を続けざまに読みます。
そうすると、5冊目を読む頃には同じことの繰り返しのように感じられます。それだけ知識が定着したということです。
まったく知らない分野の本は、1冊2冊読んでもまあ身につきません。理解できていない箇所も多いと思います。
だからと言って、一行一行理解しようとしたら先に進めず挫折してしまうでしょう。それよりも、8割忘れたっていいやというくらい気楽に、まずは通しで読んでみる。
読み終わったら、同じ著者の別の本を読む。
それを繰り返します。同じ本を2回読むのもいいけれど、飽きてしまうので別の本を読みます。そうやって、ペンキの上塗りのように知識を積み重ねていきます。
最初は適当でいいのです。適当に塗るのを繰り返せば、ちゃんとペンキが濃くつきます。

→ 自分はまだ同じ著者を5冊以上読んだのは「中村 天風」の本だけですね(正直)すっげー目からウロコの事が多くて、当時、結核という不治の病とされていた病気を最終的にカリアッパという師と運命の出会いを果たし、共に生活(修行?)をしていくことで、病を克服してしまい、長寿を全うしつつ、人に心の本来の強さを説いた凄い方でした。呼吸法大事ですよ。お腹の下あたりを意識しながら深く息をすって肛門をキュっとしめるんですわ。なんでも乗り越えれまっせ。

...と、話しを戻して、本を二回以上読むのって、大事だと思うんですよね。でも繰り返しは正直な所、自分も飽きちゃうんですよね。でも、繰り返し読まないと覚えない。困ったもんです。

読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書) 新書 – 2019/1/8

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