BOOK LIFE

淡々と生きる: 小林正観

淡々と生きる」読みました。とても不思議な体験で、スピリチュアルの世界の話も色々と聞けるので、人は選ぶのかも。めちゃくちゃ簡単に言ってしまうと、「魂は人生のシナリオを生まれる前から描いていて、運命は決まっている。なので、どうこうするのではなく淡々と生きることが楽であり、人生の本質を味わうことができる」ということと捉えました。すでに繰り返し数回読んだ本書なのですが、自分にとって腑に落ちることが多く、日常を感謝しながら淡々と日々をこなし過ごす。これはとても大切なことだと思います。

自分も元々は「あーしたい、こーしたい」と常々思っていたタチです。でもですね、確かに苦しいことが多かった。なぜなら「思ったとおりにならない」から。自分と同じように苦しんでいる人はたくさんいるのかなと。何を持って「成功」とするかは人それぞれですが、「淡々と生きる」では、「もともと全て持っているではないか。それ以外のものを欲しがるというのは、エゴに過ぎず、またそれに気づくべきである」ということ。その文を読んでいる時、彷彿したのは、藤井風さんの「まつり」の詩が出てきました。「なかなか気づけんよね。なにもかもすでに持ってるのにね。」と。

著者である小林正観さんのストーリーも聞けます。釈迦の話も面白かった。釈迦の生まれ変わりの一人として空海の言葉も自身に残しておきたい。ハイライトにもあります

己の長を説くことなかれ、他人の短を言うことなかれ」でした。自分の長所を自慢するな。他人の短所を指摘するな。

日々変わらず実践し、座右の銘の一つにします。

淡々と生きる: ―人生のシナリオは決まっているから― Kindle版

「ああ、自分はまだまだわかっていなかった……」
天皇が元旦に祈る言葉と、正岡子規が病床で発した言葉は、死と向き合う著者に衝撃を与えた。
そして、到達した「友人知人の病苦を肩代わりする」という新境地。
澄み切った著者最後のメッセージ。
神々しいほどでした。
高いところへ登っていくようでした(あるファンの声)。

 

以下、ハイライトです。

 

スプーン曲げ

じつは「気合いと根性で生きる」生き方は、自分の秘められた能力を使わない生き方なのです。自分の超能力を使うために絶対必要なことは、気合いと根性を入れないこと。別の言葉でいうと、「淡々と生きる」ことです。「なんとかするぞ」と思った瞬間から、なんともならなくなってしまいます。

八十五%の世界

人間の能力の隠された八十五%領域を目覚めさせるキーワードのひとつは、リラックスだとわかってきたのです。そして喜び、幸せ、感謝です。つまりは、日常生活の中で、何が起きてもイライラしない、淡々と生きることだという結論になっていきました。

千利休

朝起きて。仕事をして、帰ってきて、夕食を食べて、テレビを見て、寝て、また翌朝が来て、また仕事をして、また夕食を食べて・・・とそういう日々が繰り返されるなかに、人生のおもしろさや、幸せや、贅沢感というものがある。淡々と生きていくなかにこそある。人生を、やれ楽しいの愉快のとはしゃいで、「どこそこに行ったからおもしろかった」「あそこに行ったらステキだった」などと言っている限り、本当の人生はわからない。淡味がわからない限り、人生は永久にわからない、ということです。
「人生の本質は、淡味にあり」です。
「淡々と生きる」ことです。

運命の構造

運命は決まっているとすれば、つべこべ言う必要がない。つべこべ言う必要がないと思い定めたら、その瞬間から、悩み苦しみはなくなります。悩み苦しみというのは、何かをどうしたいこうしたいと思っているから生じるので、それを「どうでもいい」と思うことができれば、悩み苦しみはなくなります。「どうでもいい」と思い定めたら、人生はすごく楽になります。

「あんでるせん」の久村さん

選びに選んだ結果がシナリオどおりであるーーそうわかってしまったら、考え方としては、恨んだり、愚痴を言ったり、泣き言を言ったりするのは意味のないことです。だったらそんなことはやめなさいということです。大学に落ちたから、病気をしたから、事故に遭ったからといって、人生が終わりだという結論にはなりません。わが身に起きることは、すべて自分の魂が生まれる前に書いたシナリオどおりであると思い定めることです。

小林正観の場合

「すべて自分の魂が書いたシナリオどおりなんだ」ということがわかってしまうと、もうあくせくする必要はありません。どんなことにも「はい、わかりました」と言って喜んで受け入れ、淡々とやっていけばいいことになります。

一切衆生悉有物証

本当はそういうやさしさとか温かさ、人間性のようなものを評価する世の中のほうがいいのです。そういうものが今の社会では評価されないので、だんだん魂が濁ってくる。競うこと、比べること、争うことで、魂は泥まみれになってしまっている。

守護霊

当人が自殺するのは、その人の魂が書いたシナリオどおりなのですが、守護霊は、ついた人間の寿命を全うさせなければ霊格が上がりません。
そういう守護霊が、ときどき疲れ果て、ぐったりする場合があります。守護している人間が不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を口にしたとたんに、守護霊はエネルギーを失ってしまいます。人間の言葉でいうと、「やる気を失う」のです。エネルギー体のくせに、肝心のエネルギーを失ってしまいます。不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句は、守護霊のエネルギーを奪う言葉です。この人のためによかれと思ってやっているのに、当人の口から出てくる言葉が愚痴や泣き言ばかりになると、「この人には何をやってもダメなのか」と、膝を抱えて座り込んで、ついには離れていってしまいます。すると、守護霊のいなくなった当人は自分の力だけで世の中を生きていかなければなりません。苦労の多い、大変な暮らしになります。
そうした場合、守護霊に元に戻ってもらう魔法の言葉があります。呼び戻す言葉は、「ありがとう」です。ラッキーだった。幸運だった、ありがとう。

ドンと身体が重たくなっても、「つかれた」と言わないことです。「つかれた」ではなく、「ツイてる、ツイてる、ああ、私はツイてる」と繰り返すと、雑霊は「あ、この人はツイてるという言葉が好きなんだ。では、「ツイてる」と言える現象をたくさん起こしてやろう」と受け取り、そのための現象を次から次へと起こしてくれます。雑霊は守護霊と同じ力を持っています。

「つかれた」から「ツイてる」と切り替えることです。

地獄がないとしたら恐がる必要はありません。安心してあの世に行けます。ただ、魂だけの存在で二百年も三百年も過ごしていると、飽きがきます。魂だけの存在では、成長もしません。そこで、「神様、そろそろいろいろなものを背負いに、またあの人間界に出て行きたいのです」と神にお願いすることになります。

他人に喜ばれる

持っているお金を、自らは質素倹約しながら、一旦使うとなったときの使い方は、非常に巧みです。お金の使い方が歴史の中にちゃんと残ります。道頓堀が残った。心斎橋が残った。名前を残しながら、人々のお役にも立った。これを「生き金」といいます。
生き金の根底にある思想は、人に喜ばれるように使うことです。喜ばれるように使うと、それは倍返しになって返ってきます。

五蘊皆空

ふと見ると若い娘がいた(色)、きれいな子だと感じた(受)、その子と話したいなと想った(想)、そばへ行って「付き合って」と声をかけた(行)、「いやよ」と言われ、人生って難しいものだなと認識した(識)。これが「五蘊」です。
この「五蘊」が活発になり、盛んに作用すると、いろんな思いが生じて、それが苦になります。しかし、それもこれも、「五蘊皆空」(五蘊はみな空なり)です。人間が感覚として抱いている「色、受、想、行、識」というものは、みな「空」なのです。色、そして受も想も行も識も、本当は「空」なのです。宇宙的な性格づけはされていないものです。人間一人一人がそれぞれ勝手な「思い」をもって、その「思い」を基準にして、ああだこうだと評価したり論評したりして右往左往しているだけです。

悩み苦しみ

生老病死という「四苦」は「宿命」です。自分の意志では変えられません。すでに宿っているものです。あとの四つは「運命」です。「運命」は自分の日常生活や人生の中で生じるものですから、変えられます。だから宿命と運命の二つに分けたのです。この「四苦八苦」に通底するものは「思いどおりにならないこと」。釈迦はそれが人間の「苦」の本質だと見抜いたのです。

「思い」を持たない

夢や希望というのは耳にはいい響きですが、よく考えてみると、結局は「足りないこと」を言っているにすぎないのです。「あれが足りない。これが足りない。あれを寄こせ。これを寄こせ」と言うことを夢や希望であると吹聴しています。これは突きつめていくと、エゴなのです。
私たちは九千九百九十の喜びを宇宙からいただいているのに、足りない十個を挙げて、それを「寄こせ、寄こせ」と言っているのです。

幸せとは

幸せという現象がどこかに存在するわけではありません。自分は幸せだと認識するかどうかです。ああ今、幸せだ・・と自分が認識するーー幸せの本質はそれだけです。

空海の座右の銘

「己の長を説くことなかれ、他人の短を言うことなかれ」でした。自分の長所を自慢するな。他人の短所を指摘するな。

 

淡々と生きる: ―人生のシナリオは決まっているから― Kindle版

「ああ、自分はまだまだわかっていなかった……」
天皇が元旦に祈る言葉と、正岡子規が病床で発した言葉は、死と向き合う著者に衝撃を与えた。
そして、到達した「友人知人の病苦を肩代わりする」という新境地。
澄み切った著者最後のメッセージ。
神々しいほどでした。
高いところへ登っていくようでした(あるファンの声)。

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