こんにちは。ふわふわしょうちゃんです。
これから子どもが生まれてくる予定の方、また、絶賛育児中で日々奮闘している方、日々お疲れ様です。
僕はイヤイヤ真っ最中のもうすぐ3歳児と、小学1年生の娘と暮らす半シングルファーザーです。
育児生活が始まって長女の年数(7年)が経過したわけですが、育児に対して人に伝えるなら何というかと問われれば、真っ先に「大変」という一言を思いつきます。
実際に育児中心の生活をしている人ならば、納得の一言だと思いますが、その育児の中で気づき、そして、育児に悩んでいる人は育児が楽になるかも?についてのお話です。
子どもが生まれて変わること
これから親になるであろう人へのメッセージとしてお伝えしておきたいこと。それは実際に「子どもが生まれて変わること」ですが、結論から述べると「生活の全てが変わる」ということです。
これは何を示すのか、というと、今一人で過ごしている24時間のタイムスケジュール、習慣が全て崩壊します。(ネガティブな言い方ですけど、自分はそう感じたし、育児は楽しむものとか言うつもりは毛頭ない)
子どもが生まれてくることは大きな視点でみれば、「次世代へつなげていくこと」です。と共に、最初の5年ぐらいは、自分が習慣づけていたこと、趣味の時間、そういったものが全て一旦消滅する覚悟を持っておくぐらいが丁度よいと感じています。
実際、自分は長女が生まれて、そこまで生活が変わると思ってもいませんでした。にぎやかになり、ある程度は忙しくなっても、それなりに気楽に日々を過ごせると思い込んでいたので(甘過ぎて草。)、自分で自分の時間をコントロールできない日々が365日続くと、育児の道半ば、強いストレスを感じるようになりました。
しかし、親族が近くにいて、時折手伝ってもらえる人は、育児の負荷度が全然変わってきます。なので、育児に対する負荷度はその場限りではありません。
育児を一言で表すと「大変」
冒頭述べましたが、育児を一言で表すと「大変」の一言に尽きると思います。これは最近、本で読んだ島田潤一郎さんの「電車の中で本を読む」でも書かれていたことです。育児は本当に大変です。
しかも、ワンオペで子育てをすると、子どもがひっくり返って泣いている最中に、上の子どもが何かをしつこく話しかけてきたり、助けを求めてきたり、手をあちこち取られて、家事や用事が全く進まないケースなんてザラです。少し落ち着いたかな?と思った矢先に、家事に戻ると、ウンチをしたり、何かをこぼしたり、何もかもうまくいかない時が往々にしてあります。
育児の休憩のなさを考えると、正直、仕事をしている時の方がよっぽど楽です(仕事はやればこなすことができるので)。毎日外で働いているパパはたくさんいるかと思います。それでもし、ママがワンオペに近いレベルで育児を任せているのだとしたら、それは長期的にみると、ママへの負荷度が高いので二人の関係性は悪くなる一方だと思います。育児の大変さは、身をもって経験してみなければわかりません。
もし、妻より育児時間が短いとしたら、それは子どもと過ごす時間を積極的に増やすべきだと思います。
今は共働きが普通の時代です。もし、ママがキャリアをあきらめて、パートなどで育児をしているとすれば、そこにどれだけの感謝をすべきかパパは知らなければいけないと思います。
僕の場合、ママのキャリアを守ることはできたけど、それでもうまくいきませんでした汗。今は個人の幸せ、多様性を選択できる時代なのかな。ひと昔前のように、どちらかが妥協して、受け入れての時代は終わったのかなと感じています。
最近読んだ、「中年の本棚」という中の本の紹介の一部に「夫婦は不機嫌の椅子取りゲーム」という話があり、夫婦どちらかが、不機嫌の椅子に座ると、もう一人は不機嫌にならないように妥協、受け入れをしなければ夫婦の関係はうまくいかない、また、それを実践するのが親として、大人な行動の一つである、ということです。
そりゃそうだと思いつつ、どちらか一方が「我慢ならなくなった」としたらそれはもう離婚という形で落ち着かせるしかないかな、とも思います。
育児の悩み解消は「捨てること」から始まる
育児がうまくできず、色んなケースで悩んでいる方はたくさんいると思いますが、育児を上手く回せるように自分が実践していることの軸として実践していることは「いったん捨てること」です。
僕は育児生活が始まって生活が激変し、3年ほど苦しみ、あがきもがいていましたが、捨てることに気づくまで(実際に実践できるまで)数年間を要しました。
育児において大切なことを一つ答えることができるとすれば、自分は間違いなく「捨てること」を挙げます。
「自分の時間がほしい、どこかへいきたい、何を食べたい」などの欲求があるからこそ、人はそれができない状態になると我慢しなければならず、それが持続的に続くと強いストレスの元凶になります。
ならば、その私利私欲をなるべく捨てることができれば、そもそも「苦」を感じることはない。仏教に少し似た所がありますが、まさしく「それ」と考えてもらってよいと思います。
しかし、生きている以上「欲」は捨てることができないもの。なので理解はしていても実践できず、苦しむことになると思います。
要は「欲」はあるものと自覚することが大切だと思うし、その先に「今は仕方ない、どうしようもない、なのでいったん捨てておこう」というある種、潔い決断が育児を楽にさせるコツなのだと思います。
子どもが生まれると、赤ちゃんから幼児期(4歳過ぎ?)は夜もストレートに寝てくれません。なので、「寝たい」という願望さえも実は贅沢なレベルです。
まだ下の子が3歳手前なので、夜中多いときで数回は泣いたり(夜泣き)で起こされます。その度に寝かしつけて、自分ももうろうとしているし、うまく寝れないことも多いです。
眠気に襲われながら、仕事をするわけですが、パフォーマンスに影響がないのかと問われると影響はしていると思います。少なくとも。でも、それは仕方がない。どうしようもないのですから。(その後ろめたさも捨てる方が楽)
時に、うまく昼休憩を利用して、10分程度仮眠することもありますが、工夫して生活を凌いでいくことが大事だと思います。
今、育児でうまくいかない、悩んでいることが「子どもに対する何か」でなければ、大抵、自分がうまく休めていないとか、「仕事と家事と育児の往復」で疲れているとかが原因の場合でも、自分の休みたいときに休めないのが育児でもあります。
当然、「休むな」という意味ではなく、「休みたい」をいったん捨てて、しょうがない、仕方がない、とあきらめることで結果的に子どもと衝突する回数も減ると思います。
捨てたもの
以下、育児が始まって捨てたもの一覧です。
- スケジュール
- 物欲
- 趣味
- 好きな食べ物
- 行きたい場所
- 休日
- キャリア
正直、詳細を挙げればキリがないです(汗)。ただ、まだ子どもに手がかかるとはいえ、赤ちゃん時代を思い返すと、少しづつ取り戻しつつあることも事実です。
これらを永久に捨てなければならないとしたら、もう人生やめた方がいいんじゃあないか、と思わざるを得ないレベルだと思います。休日も「休」という名の仕事です。当然子どもを遊びに連れていくことになると思います。
僕はこの状態がずっと続くのではないか、と苦しくなる時期がありましたが、育児のトンネルは永久に続くわけではないと思います(まあ、これも人によりけりと思いますが)
子どもができるまで「フードコート」でランチを食べたこともなかったし、個人的に行きたい場所へはどこへも行けない。もし、行っても子どもたちは全然興味がないので。
休日は最近ようやく1日だけ、カフェで7年ぶり近くに一人で過ごすことが可能になりました。
その際にブログを書いたり、本を読んだり、ゲームをしたりして休日を楽しんでいます。
育児の日々の中、「あーしたい、こーしたい」という気持ちをもっていると、叶うことが幾度ないです。自分自身への気持ちに執着していると、精神状態をうまくコントロールできなくなり、強いストレスを感じると思います。
そういう経緯から、正直言うと、妻が二人目の子どもが欲しいと言い始めた時は、気持ちが後ろ向きでした。
とはいえ、生まれてきてくれると、やっぱり最高に可愛くて、自分にとってかけがえのない存在になります。(不思議だなあ。。)
捨てるものは人によって違うと思います。ただ、共通していえることは、人は「欲」があって当然なので、それに執着していると育児が絡んできたときに悩みの種になったり、余計つらくなったりする要素になるということです。
なので、そうであれば一時的にでも、あきらめた方がいい、できるなら捨てた方が楽になりますよ、というお話です。
援助してもらうのは大切なこと
「核家族」というのを、いつごろからか聞くようになりましたが、フルタイムで働きながら育児をするのは本当に大変です。
僕は近くに親がいないので、誰の援助も受けることができませんが、これができる人は遠慮することなく、育児の助けを得る方が、子どもとの関係、夫婦の関係を考えると大切なことだと思います。
子どもはたくさんのことをまだ経験していないだけで、また、一個人として尊重されるべき存在です。
彼、彼女らにはちゃんと主張があって、それを親が思うように動かすことは不可能ですし、それは日々の日常の中で意見の言い合いを繰り返すもの。なので、疲れます。(基本いうことを聞かないので)
それを周りの親族でも、お金に余裕のある人はヘルパーでもいいのですが、何かを頼りにして、育児の負担を工夫して減らすというはとても大切なことだと思います。
そうできない状況であれば、本記事のテーマである、自己完結の一つの方法として、「いかに捨てることができるか」が大切になると思います。
育児の先に行き着くもの
ところで、僕は自分が小さい頃、おかんにご飯を食べさせてもらって、おむつを替えてもらって、今まで大人になるまで大変お世話になりました。
しかし、小さい頃のことの多くは「自分のこと」しか覚えていません。自分はお世話になっている身だから、おかんに負担をかけたこととか、人生の長い時間を自分に投下してくれていたこととか、実際に自分が親になるまで感謝はしていたけれども、ちゃんと感謝しきれていなかったのではないか、とも思うのです。
何が言いたいかというと、本当は育児に終着点の一つとして、「親への感謝の深さを知る」ことでもあると思います。
実際に親になり、「こんなに大変だったのか」と思い知ることで、それを自分も小さい頃に同じように親にお世話してもらっていたと改めて振り返ることができるのです。
ある時、そうか、育児を経験を通して大切なことの一つは改めて親への感謝を知るということなんだな、と再確認することができます。
また、それは子どもというかけがえのない存在が、教えてくれたこと。本当の意味で育てられているのは自分かもしれないな、と感じながら日々、子ども達と生活させてもらっています。